「今の日本を形づくっているすべて、沖縄の犠牲の上に成り立つといって過言ではない」






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野坂昭如の「七転び八起き」連載119回 日米開戦70年
自称平和国家の旧態


 このところたて続けに、政府官僚のの失言暴言が飛び出し、お粗末さが露呈された。世間はこれを機にいかな政権のしたで政治が動いているか、真剣に考えた方がいい。
沖縄防衛局長の物言いは論外、一川保夫防衛相の物知らずは不勉強うんぬんの域ではない。両者ともその立場にありながら沖縄を知らな過ぎるという以上に、人間としての質の問題である。
 今の日本を形づくっているすべて、沖縄の犠牲の上に成り立つといって過言ではない。戦中、さらに戦後、沖縄は日本の楯にされた。唯一地上戦が行われた沖縄。空襲だってもちろん過酷だったが、沖縄は特別。空襲による爆撃とケタが違う。逃げる場所はなく、見つかれば殺された。ごく普通の島人が人間の極限の姿を目にし、地獄を見た。地上戦の後、一木一草すべて失われ、影のない島人に、二十数万の遺体が放置され、これを島人たちが片づける。沖縄地上戦は、本土防衛のための虚しい戦い、第日本帝国が沖縄を見捨てたことによる。
 戦後日本は、沖縄を人身御供として差し出しながら自らを守り、繁栄に走った。沖縄はその役割を上手く果たしてきた。ただ、その経緯は実に悲惨である。本土はいささかも傷つかず、沖縄だけがひどい目に遭ってきた。他にも米軍基地は全国に存在する。しかし、沖縄ほど極端じゃない。猛々しい尾翼の連なり、繰り返されるタッチアンドゴー。しかしすぐそばで、ごく普通の暮らしが営まれているのだ。沖縄の日常にあるあたり前の物音は掻き消され続けてきた。その中には、ウチナンチュの悲鳴も隠されている。その悲劇が県民たちの声となったのが、1995年、少女暴行事件である。屈強な米兵3人による卑劣極まりない出来事だった。これまでも度々起きていた米兵の不祥事。犯人たちは鬼畜、いや鬼畜以下である。しかし、基地の中に沖縄があるといっていいような現状では、こういう事件がいつ起こっても不思議ではないともいえる。この事件を機に、沖縄では大規模な県民大会が開かれた。
 沖縄は戦後、基地漬けにされ続け、基地によって自分たちの衣食住を支えざるを得ない状態が続く。反基地を訴えることは即ち、食えなくなることにつながる。その上で基地の縮小、あるいは抹殺を追ってきた経緯がある。本土の 人間はこの暴行事件に対し、当初眉をひそめ、アメリカへの恨みごとを口にしt。しかし結局は他人事。これを機に浮上した普天間基地問題についても同様だろう。メディアも沖縄の基地について、取り上げはするものの、うわべばかり。何が問題なのか、沖縄と向き合い、基地の本質を論じないまま今日に至る。
 沖縄だけが今なおアメリカの占領下、植民地であることを知りながら、我が家の近辺に基地のないことで安心している。
 一川防衛相は防衛のトップ。国民の生命、財産を守り、国家の安全を守る最高の責任者でもある。95年に起きた少女暴行事件はその内容と同時に、日米の在り方が広く浮き彫りになったことに意味をもつ。つまり、日米安保にすがりつつ、平和を唱える日本、世界の警察国家を自任しつつ、やりたい放題のアメリカ。軍事面での主権在米が、政治面でもずっと尾を引いている。
 日本の立場を考えれば、なるほどアメリカは大切な同盟国であろう。しかし、日本における防衛は日本人が考えれなければならない。日本の在り方、沖縄の基地問題、今後の展開を図るには、現防衛相には、荷が重すぎる。


 昭和16年12月8日米安保、太平洋の真ん中、真珠湾マレー半島を日本軍が奇襲。日米開戦である。以後、昭和20年8月15日敗戦まで、日本は世界を相手に戦い、多くの死者を出し、一切合財焼けて飢えに苦しむ、文字通り世界の孤児となった。どうしてあんな馬鹿げた戦争をしたのか、未だによく判らない。そのよく判いまま、平和国家を自称。昭和16年の12月8日、第日本帝国の真珠湾攻撃成功を、世間は熱狂的に喜び、歓呼の声を上げた。当時の日本の国力について疑う人などいなかった。国民は何の疑問も抱かず、戦争を協力した。しかし、だからといって、衆愚とはいえない。
 愚かなリーダーたちの下、民は一致団結、敵と戦う地獄へと突き進んでいるなど、考えるゆとりはなかった。しかし、昭和11年ごろまで、軍の暴走に歯止めをかける動きもあった。これは、中国に兵を進めて以後、一切なくなっていく。
 この12月8日で、日米開戦から70年が経つ。ぼくには今の日本が、少しづつ旧態に戻ろうとしているように思える。旧態とは一億思考停止の状態をいう。
 今は何をいってもいい時代。だが、言うべき時に言わなければ、考える時に考えなければ、あらゆることが手遅れとなってしまう。(企画・構成/信原顕夫)
    −−「野坂昭如の「七転び八起き」連載119回 日米開戦70年」、『毎日新聞』2011年12月10日(土)付。

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正直なところ野坂昭如氏(1930−)の斜め目線……これもまた戦略的諧謔なんだろうけれども……と歴史認識に関しては、全肯定はできないのだけれども、この「七転び八起き」で指摘する沖縄に対する歴史認識は、最低限必要なんじゃないだろうか……ってことで覚え書として残しておきます。

「今の日本を形づくっているすべて、沖縄の犠牲の上に成り立つといって過言ではない」。

正直に目を向けないと。









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