寡婦の声はもちろん天下を動かすに足らず、しかれどもかれらもまたその憂愁を訴うるの権利を有す。
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寡婦の声
戦争は国家の利益ならん、しかれども寡婦もまた国家の一部分なり。寡婦の声はもちろん天下を動かすに足らず、しかれどもかれらもまたその憂愁を訴うるの権利を有す。かれらの声はもちろん国家の聴くところとならず。しかれどももしかれらにしてかれら刻下の真情を語るの自由を与えられんには、かれらは声を放って言わん、「戦争はわれらにとっては非常の苦痛なり」と。
−−鈴木俊郎編『内村鑑三所感集』岩波文庫、1973年、131頁。
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いつもは期日前投票ですませるのですが、平日に時間が割けず、結局、ひさしぶりに投票所の足を運ぶことになりました。
12:00前に投票所を訪れましたが、割と混雑していることにうれしく喜びました。投票率は前回より低いということですが、現実にはどうなのでしょうか……ね。
さてと……
政治で「何かが変わるわけねーや!」とふて寝を決め込んで、投票しないのはどうかとは思う。しかし同じように、口角泡を飛ばす喧々囂々の床屋政談にのみ熱をあげるのもどうかと思う。
確かに「政治」で「変えることができる」ところはあるから、投票行動によってアクセスすることは必要不可欠だ。しかし、「政治」で「変えることができる」のが苦手な、本来的には「政治」に属する分野も存在する。だから、投票もしなければならないと思うけれども、投票したら「はい、それでよし」と決め込んで、後者をスルーしてしまうと、何かがはじまらないような気がする。
勿論、「俺は後者をきちんとやっているから、投票しないぜ」と妙に意識高く留まるのことに対しても……、「んんん???」とはなってしまうけれども、「〜にすぎない」から「どうでもいい」ではなくて、結局、そうした両義性をひきうけていかないかぎり、すなわち自分自身の考え方やライフスタイルの見直しからはじめなき限り、「何かが変わる」わけはないんじゃないのかなぁ、などと思う次第です。
その両義性を“ひきうける”とは、つまるところ、そうした「政治」という分野に限定される問題ではないことはいうまでもない訳ですけどね。
そんなことを最近、実感する。