書評:宜野座菜央見『モダン・ライフと戦争 スクリーンのなかの女性たち』吉川弘文館、2013年。

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 日本映画は、「銃後」と呼ばれながらも中途半端なまま統制が緩やかに進行した一九三八、九年の社会にしたたかに対応した。何よりもスクリーンのモダン・ライフは、国民生活を戦前に変わらぬ豊かさのイメージによって描き、実際に戦争がもたらしたダメージを観客がまともとに直視することを妨げることで戦争を支援したのである。
 スクリーンのモダン・ライフは、資本主義社会のビジョンを持たずに繁栄に憧れる人々が放つ活力の輝きと危うさを同時に伝える。果たして、彼らを見詰めた観客たち自身とどれほど違っていたのだろうか。このように感じる時、私たちの歴史的想像力は触発されてやまない。
    −−宜野座菜央見『モダン・ライフと戦争 スクリーンのなかの女性たち』吉川弘文館、2013年、220頁。

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宜野座菜央見『モダン・ライフと戦争 スクリーンのなかの女性たち』吉川弘文館、読了。ファシズムが台頭した「非常時」、映画は戦争一色になるどころかモダン・ライフを描き続けた。本書は、30年代の日本映画を女優に着目して論じた一冊。女性の美と資本主義、戦争と平和の関係を大体に描き出す。


ファシズムが台頭した「非常時」、映画は戦争一色になるどころかモダンライフを描き続けた。本書は30年代の日本映画を女優に着目して論じる異色作。女性の美と資本主義、戦争と平和の関係を描き出す。

黎明期の映画産業は資本主義の肯定と無縁ではない。大衆の欲望に応えることで発展し、戦時期の作品もモダンライフを描き続けた。栗島すみ子から田中絹代原節子に至る作品群の女性表象を分析することでその共犯関係を詳述する。

勿論、戦争末期になるとモダン・ガールは批判の対象となる。転変する女性表象は資本主義と戦争に翻弄されるスターの影を映し出す。この時代を単純な構造(例えば、軍部/無辜の民)で認識しがちだが、本書はその襞と闇に切り込んでいく労作だ。



 





モダン・ライフと戦争 - 株式会社 吉川弘文館 安政4年(1857)創業、歴史学中心の人文書出版社





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