覚え書:「みんなの広場 満蒙開拓団の悲劇を知る」、『毎日新聞』2013年9月18日(日)付。
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みんなの広場
満蒙開拓団の悲劇を知る
林業 65(北九州市八幡西区)
長野県阿智村に満蒙開拓団の記念館が開館したという道根馨さんの投稿(8月31日)を読み、本棚から「満州移民の村・信州泰阜村の昭和史」(筑摩書房)を出し、読み直しました。当初で言われるように「満蒙開拓」は国策であり、長野県からは全国の15%にあたる3万人が応募。泰阜村からは1020人が送り出され、600人が終戦間際のソ連の参戦で敗走中に亡くなられて帰って来なかったとあります。これほどの犠牲者が出た原因の一つにソ連の侵攻を前に開拓団からすべての壮年男性を根こそぎ動員(徴兵)したことがあります。女性と老人で子供を背負っての逃避行が多くの犠牲と後の残留孤児を生んだとあります。
満蒙開拓団に関する本を他に数冊読みましたが、進行したソ連の軍紀が乱れていたことや関東軍に開拓団など市民を守る考えなどなく、むしろソ連侵攻を少しでも遅らせる盾として利用したともありました。記念館の役割は大きく、次の遊行ではぜひ立ち寄りたい。
−−「みんなの広場 満蒙開拓団の悲劇を知る」、『毎日新聞』2013年9月18日(日)付。
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満州移民の村―信州泰阜村の昭和史 (1977年)
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