覚え書:「今週の本棚:中村達也・評 『繁栄の呪縛を超えて−貧困なき発展の経済学』=J=P・フィトゥシ、E・ローラン著」、『毎日新聞』2013年10月20日(日)付。

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今週の本棚:中村達也・評 『繁栄の呪縛を超えて−貧困なき発展の経済学』=J=P・フィトゥシ、E・ローラン著
毎日新聞 2013年10月20日 東京朝刊


 (新泉社・1995円)

 ◇地球環境問題の背後にあるものを知る

 猛暑、豪雨、竜巻、そして海水温の上昇によるマグロ漁やサンマ漁の異変。日本を取りまく状況の変化を思い浮かべただけでも、なんだか地球が壊れかけているような気がしてならない。そんなことを思っていた先月二七日、ストックホルムで開かれていた国連のIPCC気候変動に関する政府間パネル)の会議で、衝撃的な報告書が公表された。どうやら、地球環境は予想以上に壊れかけているようなのである。

 世界の平均気温は、一八八〇年から二〇一二年までの間に〇・八五度上昇し、海面水位は、一九〇一年から二〇一〇年までの間に一九センチ上昇したという。大気中の二酸化炭素濃度は一七五〇年以降増加し、過去八〇万年で例のない高さだという。二一世紀末の海面の水位上昇は、最大で八二センチといい、もしも五九センチ上昇するならば、インドネシアは一〇%も水没することになる。IPCCの今回の報告書は、われわれが市民や国民であることを超えて「地球に住む人間」としての眼差(まなざ)しを改めて要請するまことに重いメッセージであり、それはそのまま本書のメッセージとも重なる。

 著者の一人フィトゥシは、GDPに代わる新しい指標作りを提案したあのスティグリッツ委員会のメンバーで、A・センらとともに報告書を取りまとめた環境経済学者。そして本書の原タイトルは『新たなエコロジー政策−−経済学と人間開発』である。ローランの助力を得て仕上げたこの作品は、本文二百頁(ページ)足らずの小著ではあるが、その投げかけるメッセージはとても重い。

 繰り返し引かれている言い回しがある。「われわれが地球を理解するペースよりも、われわれが地球を変化させるペースのほうが速い」(P・ヴィトーセク)。つまり、復元力のあるエコシステム(生態系)について人間が理解し適切な対応をとるよりも前に、人間がそのエコシステムを破壊してしまっているというのである。過剰に漁獲されている魚種は世界の漁業資源のストックの三分の二近くにのぼり、個体数が回復を示している魚種は全体のわずか一%だという。生物種が絶滅するペースは、現在では過去の自然なペースよりも千倍も速いという。産業革命以降、大気中の二酸化炭素濃度はおよそ三〇%も増加し、二〇世紀初頭以来、年間の窒素固定量は二倍に増えた。そして再生可能エネルギーへの関心が、原発事故以降、ようやく高まりを見せるようになった、等々。

 「将来世代のニーズを損なうことなく、今日の世代のニーズを満たす発展こそ、持続可能な発展である」。国連のブルントラント委員会がこう報告書をまとめたのは、一九八七年のことであった。それから、あっという間に四半世紀が過ぎてしまったのだが、状況が大きく好転した様子は見当たらない。われわれは将来世代に対して、自分たちが前世代から受けついだ状態よりも悪化した地球環境を、そしておそらく将来世代の欲求を満たさないような地球環境を遺贈することになるのであろうか。

 確かに、有限な資源ストックの切り崩しや環境資源の取り返しのつかない開発行為があるその一方で、知識や技術進歩の蓄積があるのも事実である。われわれよりも有益な知識や技術を蓄積した将来世代が、すばらしい解決策をあるいは生みだしてくれるかもしれない。しかしそのためにも、将来世代がわれわれの世代と同様、あるいはそれ以上に地球環境を利用できるような状態を保持しなければならない。こうしたきわどい綱渡り的な「猶予時間」の中で、選択を過たずにことを進めるほかない。さて、どうするのか。

 やみくもにパイの拡大を求める経済成長=「繁栄の呪縛」を超えて、むしろ、パイの分け方=分配のありように真正面から目を向けるべきことを著者たちは強調する。そして、一九四三年のベンガル大飢饉(ききん)を体験したA・センの痛切な言葉が引かれている。「飢餓は、食べ物がないのではなく、人々が食べ物を手に入れる術がないことを意味する」、「民主主義のルールを尊重する国や複数政党が存在する国では、飢餓は絶対に勃発しない」。同じように、一国的にも、世界的にも、分配のありようを変えてゆくよりほかに、環境問題に立ち向かうすべはないというのである。環境問題の背後には民主主義と社会正義の問題が張り付いているのだ、と。そして、世代内の水平的な公平が確保されない世界では、次世代との間の垂直的な公平を満たすことも難しいのだ、と。

 問題は、分配のありようを決める政治的プロセスをどう構築するかという、民主主義そのものの質に関わる。「経済を衰退させるのではなく、不公平を衰退させる」ことを目指す、と著者たちは言う。もちろんそれは、利害対立を孕(はら)む困難なプロセスになるであろうし、国際的な分配の調整ということになれば、問題はよりいっそう困難であるのは容易に想像できる。しかし、「猶予時間」は決して長くはない。著者たちの主張は、さながら祈りにも似た切なる願望のように響いてくる。(林昌宏訳)
    −−「今週の本棚:中村達也・評 『繁栄の呪縛を超えて−貧困なき発展の経済学』=J=P・フィトゥシ、E・ローラン著」、『毎日新聞』2013年10月20日(日)付。

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http://mainichi.jp/feature/news/20131020ddm015070006000c.html




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