覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『叢書「アナール 1929−2010」…』=E・ル=ロワ=ラデュリ、A・ビュルギエール監修」、『毎日新聞』2014年03月02日(日)付。


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今週の本棚:本村凌二・評 『叢書「アナール 1929−2010」…』=E・ル=ロワ=ラデュリ、A・ビュルギエール監修
毎日新聞 2014年03月02日 東京朝刊

 ◇『叢書「アナール 1929−2010」−歴史の対象と方法 3 1958−1968』

 (藤原書店・9240円)

 ◇動揺の時代、歴史はいかに捉えられたか

 昭和33年に東京タワーが完成したころから、なんとなく日本の景気がよくなり、世の中がセピア色からカラフルな風景になった。この西暦1958年から10年間、キューバ危機、ケネディ暗殺、北爆後のベトナム戦争拡大とつづき、冷戦体制にある世界はぐらぐらとしていた気がする。

 この動揺の時代、西洋の歴史家たちは現代世界の底にひそむ歴史をどのように捉えようとしていたのだろうか。1929年に創刊された叢書(そうしょ)から選(え)りすぐり、60年前後の10年間の諸論文をまとめたもの。創刊者M・ブロックもL・フェーヴルも世を去り、『アナール』はまさしく「F・ブローデルの時代」として群をなしたと言ってもいいのだ。16世紀のフェリペ2世時代をあつかう大著『地中海』で名高い巨匠の時代だった。

 ブローデルにとって構造の概念は重要であり、そのために「長期持続」なる思考を強調する。かつてマルクスの社会分析モデルは最も強力であったが、純化され硬直しがちになり(日本における宇野経済学を想起されたい)、それが占める空間あるいは環境に戻されなければならない。とりまく自然環境もそこに生きる人間も目に見えないほど緩やかに、だが着実に変化しているからである。

 G・フリードマンはまだオートメーションが走りだったころ、その意味を問いただし、心理・社会学的局面をほりおこす。昔は車輪つき犂(すき)などに数百年で適応すればよかったのに、今や技術革新に数年で馴染(なじ)まなければならない情況にある。そこには危険と希望が待ちかまえている。

 気候と人間の関係は、食糧資源が厳しかった18世紀までは深刻な問題だった。ル=ロワ=ラデュリは自然科学の年輪気候学などに寄りそいながらも、文献史学独自の方法を探り出す。生育期の気温が高く日当たりがよいほど葡萄(ぶどう)の成熟は急速で、収穫も早くなる。その日付を修道院などに残された古文書から集計すれば、1600年から1800年までの気候変動の時系列データを作成できる。結果は樹木の年輪の累計集積などとほぼ一致するというのだから、新しい文献史学の開発になる。

 わが国の士農工商のごとく、西洋でも商人は賤(いや)しめられてきた。批判の根源には、商人の儲(もう)けが、神にのみ属するものである時間を抵当にしていることがあるらしい。だが、J・ル=ゴフによれば、中世末期には商人の時間が教会の時間から自由になり、やがて交易や市場の情報に基づく信用貸しが発展するのである。

 キリスト教にそまらない古代ローマには「解放奴隷」という不思議な身分があった。P・ヴェーヌは小説『サテュリコン』に登場する解放奴隷トリマルキオンを素材に、奴隷が解放されて成り上がり、大金持ちになって大土地所有貴族になるという生態を描く。だが、トリマルキオンは豪奢(ごうしゃ)な生活をおくり、凡俗な側近にとりまかれているだけだった。そこには20世紀屈指の古代史家ロストフツェフが主張するような資本主義や商業経済の台頭を示唆するものはないと断ずるのだが、慧眼(けいがん)かもしれない。

 身分といえば、中世貴族社会の「若者」も身分だった。既婚者でも父親でなければ「若者」としてあつかわれる。だが、自分を受け入れてくれる娘を見つけられない若者もいる。その若者たちを12世紀の宮廷恋愛詩人は称揚する。その背景は、なんと夫が「妻が若者と若者の愛の奉仕を受け入れるのを邪魔しないこと」だとG・デュビーは指摘する。

 精神分析はどこまで歴史学に適用できるか。スパルタの被征服先住民ヘイロタイは反乱をおこしかねない脅威の種であった。精神分析学者G・ドゥヴルーはヘイロタイの精神に立ちいり、彼らが美徳によって鞭(むち)打たれ、悪徳によって褒賞されるという逆説の実態を浮きぼりにする。

 冷戦時代には善悪二元論の呪縛があり、西側にいながら反資本主義的であろうと望めば、C・ルフォールのように、民主主義そのものを問題にせざるをえなかった。東側の全体主義システムが競合(コンフリクト)など知らない社会であれば、民主主義はもろもろの異質性に立ち向かい競合(コンフリクト)を成長の原動力として利用することになる。力と富への貪欲さに根ざしながら、不平等を形式にとどまらせない先鋭的な工夫がいるだろう。

 ほかにも、「政治家とは公然と社会科学と歴史学の全体を実践に移す者である」と指摘する経済成長論のW・W・ロストウ、英仏を比較しながら経済成長の発端を論じるF・クルーゼ、黒い狩猟者とアテナイ青年軍事教練の起源を論じたP・ヴィダル=ナケなどの論考があり、日本人研究者の興味深い論考もある。

 アメリカの繁栄と明るさに翳(かげ)りが見え始め、日本が東京オリンピックにむけて高度成長の波に乗るころだった。その中で、これら対象と方法の多種多彩ぶりから、皮肉にも歴史学の「長期持続」思考にほころびが見られるように思われないでもない。だが、これこそが不変ではない長期持続という見方の本領なのかもしれない。(浜名優美監訳)
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http://mainichi.jp/shimen/news/20140302ddm015070027000c.html





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