覚え書:「へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす [著]芦原伸 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす [著]芦原伸
[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2014年04月20日   [ジャンル]ノンフィクション・評伝 


■百年余前の風景を「歩く評伝」

 パトリック・ラフカディオ・ハーン(日本での英語教師契約書にヘルンとあった)は、1904年に54歳の一期を東京・西大久保の自宅で終えた。夕食時には子供たちと雑談を交わしていたのに、その後体調不良を訴え、寝床に横になったが、「間もなく、もうこの世の人でありませんでした」(妻節子の『想ひ出の記』)という。
 1850年にギリシャレフカダ島で生まれ、父の奔放な生活の犠牲で孤児同然で育ったためか、ハーンの生涯の「アングロサクソン嫌い、キリスト教嫌い、は自分を捨てた父親への反感」からという。青年期からロンドン、ニューヨーク、シンシナティフィラデルフィアなどに居を定めながら新聞記者、作家活動に精をだすが、しかしその生活態度が常に体制の枠組みから外れるのも彼自身の「西洋合理主義」への苛立(いらだ)ちに起因していた。
 ただ人間的には憎めないところがあり、困窮、孤立の状態になると必ず支えになる人物があらわれる。40歳の年に、ある雑誌の依頼で日本探訪の記事を書くために来日する(1890年)。「放浪者、夢想家、独善家」の語があてはまるこの人物は、日本社会の伝承に関心を持ち、日本人の妻を求め、晩年には日本に帰化して幾多の作品(怪談が多い)を残す。著者は、「ハーンは出雲に来て変わった。(略)日本文化の神髄を知るに至り、日本定住を決意した」といった表現でその心情を明かしている。
 本書は、ハーンが移り住んだ北米各地、松江、熊本、神戸など日本の各地を著者が丹念に歩き、ハーンの姿がどう刻まれているかを、今と百年余も前の風景を想起、対比させながら書き進める。その意味で本書は、「歩く評伝」というべきで、新しいジャンル確立を感じさせる。著者の祖父とハーンのふたりの像の中に、著者がこだわる近代の国家像が垣間見える。
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 集英社インターナショナル・1836円/あしはら・しん 46年生まれ。「旅と鉄道」編集長。『鉄道おくのほそ道紀行』
    −−「へるん先生の汽車旅行 小泉八雲、旅に暮らす [著]芦原伸 [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)」、『朝日新聞』2014年04月20日(日)付。

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百年余前の風景を「歩く評伝」|好書好日





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芦原 伸
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