覚え書:「引用句辞典 トレンド編 [同性愛とSMの増殖]=鹿島茂」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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引用句辞典
トレンド編
[同性愛とSMの増殖]
鹿島茂

根源的に「自己愛の連結」
個人間でも国家間でも

 Oはいつも寛大な気持ちで、ほかの女のほうが自分より美しいと考えることが多かったが、そうした他人の美しさが彼女自身の美しさを保証しているように思われた。見慣れぬ鏡をのぞき込んだときにも似て、みずからの美しさはほかの女の美しさの反映のような気がした。自分に対してほかの女たちが発揮する力は、同時に、男たちに対してOがもつ力を保証していた。女たちにOが求めるもの(Oからお返しをすることは皆無か、あってもごくわずかである)を、男たちがOに求めたくてうずうずしているのがわかると、Oは嬉しかったし、男たちの気持ちは当然だと思った。
(ポーリーヌ・レアージュ『完訳 Oの物語』高遠弘美約訳 学研)

 新学期が始まる前、一週間だけパリに行ってきた。驚いたのは、道ばたでキスを交わす男々、女々が少なからずいること。同姓婚を認める法律が可決されたとはいえ、以前は「公衆の面前で」というけーすはそれほど多くはなかった。社会が劇的に変化していることのあらわれなのであろう。
 帰国の機内では、翌日に参加することになっている若い人たちとの読書会のために、以前に『O嬢の物語』という邦題で翻訳されていたSM小説の大古典を完訳版で読み返してみた。
 すると、現代社会を理解するためのヒントがいたるところにちりばめられているのに気づいた。すなわち、現在、先進国がひとしなみに直面している男女の同性愛やSMは、その根源にある自己愛において連結しているという事実である。
 M女の典型たるOは、恋人のルネやスティーヴン卿とのSMに惑溺する前には女子寄宿学校での恋愛に夢中になっていたのだが、そのレズビアン的な恋愛の根源にあるのは、「見慣れぬ鏡をのぞき込」むときに感じるような自分の美しさの確認要求なのである。
 他人の美しさが自分の美しさの保証になるということは、自分の美しさを確証するためにキャノン(規範)としての他人の美しさを求めるということにほかならない。やはり根源にあるのは自己愛なのである。
 同じようにOのSMも自己愛から出発している。Oがスティーヴン卿に求めているのは、自分から言い出さないうちに、すべての欲求を「前もって」「無言のうちに」察知し、それを完全なるレベルで満たしてくれる(つまり、厳しく処罰してくれる)全能者である。言い方をかえれば、Oは、自分を自分の望み通りに教育(処罰)してくれる完全無欠の教育者(処罰者)を激しく求めているのであり、スティーヴン卿が少しでも自分の望むのと違った考え方(処罰の仕方)をするのは許せないのである。スティーヴン卿は全能なる神でなければならない。
 なんという我がまま、なんという自己愛!
 そして、困ったことに、こうした自己愛型の関係は、いまや個人レベルであるだけでなく、集団レベル、さらには国家レベルにまで拡大されている。そう自己愛型国際関係の猖獗(しょうけつ)である。
 自己愛増殖の原因を求めれば、現代社会の構造に行き着くが、その「原因」たる社会構造もまた自己愛増殖の「結果」であり、原因と結果はメビウスの環のように循環している。
 よって、個人間においても国家間においても、根源的な解決方法は存在しないのである。
(かしま・しげる=仏文学者)
    −−「引用句辞典 トレンド編 [同性愛とSMの増殖]=鹿島茂」、『毎日新聞』2014年04月27日(日)付。

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