覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇』=尾崎翠・著」、『毎日新聞 2014年07月06日(日)付。

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今週の本棚:荒川洋治・評 『第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇』=尾崎翠・著
毎日新聞 2014年07月06日 東京朝刊

 (岩波文庫・821円)

 ◇ひとつの文章ごとに新しい世界を開く

 尾崎翠(みどり)(一八九六−一九七一)は、鳥取・岩美の生まれ。日本女子大中退後、「第七官界(だいななかんかい)彷徨(ほうこう)」(一九三一)で一部の人に注目されるも、神経の病(やま)いに苦しみ、郷里に戻った。周囲にも作家であることを知られないまま七十四歳で死去。交信を絶ったあと三十余年の消息は不明な点が多いが、戦後の一時期、純綿の布で雑巾をつくり、汽車で豊岡(兵庫)あたりまで売り歩いていたという。

 没後、尾崎翠は甦(よみがえ)る。『尾崎翠全集』(創樹社・一九七九)『ちくま日本文学全集尾崎翠』(筑摩書房・一九九一、再評価を決定づけた)『定本尾崎翠全集』上・下(筑摩書房・一九九八)『尾崎翠集成』上・下(ちくま文庫・二〇〇二)『第七官界彷徨』(河出文庫・二〇〇九)とつづいたが、今回の文庫で尾崎翠を知る人も多いだろう。

 代表作「第七官界彷徨」は風変わりな一家の日常をつづる。分裂心理医の一助、「植物(蘚(こけ))の恋愛」の研究にいそしむ二助、二人の妹で炊事係の「私」、音楽学校受験生の従兄(いとこ)、三五郎。

 「この家庭では、北むきの女中部屋の住者であった私をもこめて、家族一同がそれぞれに勉強家で、みんな人生の一隅に何かの貢献をしたいありさまに見えた。私の眼には、みんなの勉強がそれぞれ有意義にみえたのである」

 充満する肥料の匂い、哀切なピアノの音。でも彼らは「勉強」という一点で結ばれている。「私」の目標は第六官(感)を超えた「第七官にひびくような詩」を書くこと。そういえば昔は、机の前にいると、部屋をのぞいた人は、「お、勉強だね」と言ったもの。なんの勉強かはともかく、勉強する人を、いたわった。だいじにした。人が何かを求めて時間を過ごす。その誠実な姿勢があらためて良いもの、美しいものに感じられる。

 次の行動へ移る場面が多いのも印象的。「浜納豆は心臓のもつれにいい」と長話をしたあと、「僕はこうしてはいられない」とあわてて出ていく。四人とも切り替えが速い。「私」が兄たちの部屋を出るときの空気にもふれていく。ひとつの文章ごとに世界を開く。

 地方の少女だった尾崎翠は投稿誌の短文欄から出発した。「松林」(傑出の短編・全集に収録)や「花束」には、当時の修養が生かされる。この「第七官界彷徨」は、若き日の「短文」の分割と綜合(そうごう)から生まれた名作なのかもしれない。

 隣家の人はいう。「私の家族はすべてだしぬけなふるまいや、かけ離れたものごとを厭う傾向を持っていますけれど」と。「私」たちはそれこそ「かけ離れた」一家なのだが、こうして逆からの見方も描く。

 「彼の心理にもこの大空は、いま私自身の心が感じているのとおなじに、深い井戸の底をのぞいている感じをおこさせるであろうか。第七官というのは、いま私の感じているこの心理ではないであろうか」。相手を想像するときのことばもきれいだ。いたって知的な小説なのに、不思議な静けさと柔かさがある。文学にはこのようなことがあるのだ。

 とある家屋の情景。「あたりにただよっている古風な香気を感じ、そしてこの建物が私たちの住んでいる家屋にも増して古びていることに気づいた」

 小さな箇所にもこまやかな意識の活動が感じられる。表現の片隅に眠るもの、まだ見えないものがいくつもあるようだ。だから「第七官界彷徨」を読んだ人は、そのあともこの作品のことを思いつづけるのだろう。没後発見の映画脚本草稿「琉璃玉(るりだま)の耳輪」他を併録。 
    −−「今週の本棚:荒川洋治・評 『第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇』=尾崎翠・著」、『毎日新聞 2014年07月06日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140706ddm015070008000c.html





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