覚え書:「今週の本棚:三浦雅士・評 『明治の表象空間』=松浦寿輝・著」、『毎日新聞』2014年09月07日(日)付。


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今週の本棚:三浦雅士・評 『明治の表象空間』=松浦寿輝・著
毎日新聞 2014年09月07日 東京朝刊

 (新潮社・5400円)

 ◇白熱した思考がえぐり出す「表象」の逆説

 力作長篇評論である。「表象空間」のその表象とは、人間の意識の所産でありながら、社会において自律的に振る舞うイメージのようなものと思えばいい。主観的でありながら客観的なもの。言語、法、貨幣そのほか、社会的な事物はもちろん、自然、たとえば海や山でさえも、人間には表象として立ち現われてくる。本書が明治時代前期を取り上げているのは、この段階で日本人における表象のありようが大きく変化したからである。日本人にとって事物の意味、事物の秩序が変わった。

 序章「『国体』という表象」、第1部「権力と言説」、第2部「歴史とイデオロギー」、第3部「エクリチュールと近代」、終章「総括と結論」。難しそうだが、まずは斬新な明治思想史、文学史と思えばいい。第1部では警察、戸籍、刑法が扱われ、福沢諭吉中江兆民らが論じられる。第2部では、博物学の変容が小石川植物園という具体例を通して語られ、同じ変容が大槻文彦の『言海』をも貫いていることが示される。さらに天皇の表象のありようが「教育勅語」の仕上げられてゆく過程と重ねて論じられる。第3部では、北村透谷、樋口一葉幸田露伴が同じ方法のもとにまったく新しく読み解かれてゆく。

 七百頁(ページ)を超える大冊だが一気に読ませる。フーコーの『言葉と物』に似た興奮を与える。とりわけ諭吉、兆民、透谷を論じた箇所は秀逸。

 だが、本書の白熱する頂点は、第3部で展開される樋口一葉論にあり、『にごりえ』のお力の独白が、悪名高い「教育勅語」の文体と表裏をなしているという指摘にある。意表を衝(つ)くだけではない。確かにそれはありうると思わせる。著者はかつてその『折口信夫論』において、折口の粘りつくような音声優位の文体、仮名優位の文体が、じつは天皇制−−厭悪(えんお)と快楽の絡み合いによって生き延びてきたもの−−と同型であると述べて読む者を驚かせたが、それに勝る衝撃を受ける。

 とはいえ、まさにこの頂点において著者は自身の矛盾を露呈させてもいる。そして、大急ぎで付け加えなければならないが、この矛盾の露呈こそが本書を二重の意味で実り豊かにしているのである。矛盾というのは、「教育勅語」と一葉の文体が表裏をなすのは両者が歴史的な形成物でありながら結果的に歴史を超えている、すなわち「明治の表象空間」を突き抜けているからだという矛盾である。このことは一葉の文体が、たとえば『源氏物語』の浮舟の心理描写に酷似していることからもたやすく想像できる。とすれば著者はここで「明治の表象空間」ではなく、書くことの根源的な問題を提示しているのだということになる。

 この問題は、著者が本書で一貫して用いている「われわれ」という一人称複数の問題に関連している。「われわれ」とは誰か。著者の仲間のことか。そうではない。「われわれ」とは本書で展開されている思考の主体、著者と読者がともに体験している白熱した思考の持続そのもののことである。とすればその「われわれ」、すなわち「明治の表象空間」について考えているその白熱した思考はいったいどこに属しているのか。「平成の表象空間」なり「二十一世紀の表象空間」なりに属しているのか。それとも、そういった歴史を超えた文学空間とでもいうべきものに属しているのか。むろん後者である。とすれば、著者が見出(みいだ)したのは、兆民や透谷、一葉らもまたその同じ空間に属しているという事実にほかならない。啓蒙(けいもう)的実務家・井上毅(こわし)があらゆる要請を受け入れて主体を宙吊(ちゅうづ)りにすることに成功した奇怪な文書「教育勅語」もまた、結果的に同じ空間に属しているのである。それらが雑多な表象の海に沈むことなく屹立(きつりつ)してしまったのは、むしろ「明治の表象空間」から食(は)み出してしまっているからなのであり、この食み出しこそが逆にすべての表象空間を支えているものなのだ。本書が読者に差し出す最大の魅惑は、じつはこの隠された逆説にあると言っていい。

 読者は、ここまでたどってきてはじめて、本書の魅惑が、詩人であり小説家である松浦寿輝の作品の魅惑と正確に重なっていることに気づいて驚くのである。二重の意味で実り豊かであると述べたのはそういうことだ。著者は「明治の表象空間」に屹立する一葉や露伴の延長上に、内田百ケンや吉田健一の存在があると仄(ほの)めかしているが、たとえば晩年の吉田が提示したのも同じ問題だったと言える。吉田は『英国の文学』『英国の近代文学』と、ある意味では英国の文学の歴史を書いてきたわけだが、晩年の『時間』や『変化』において述べられているのは歴史とは充実した現在の所産にほかならないのであって、言ってしまえばこの世には現在しかないのだということである。人は此岸(しがん)にあって彼岸を生きているのだ。

 本書が与えるのはそういう圧倒的に文学的な歓(よろこ)びであって、それに比べれば、斬新な思想史、尖鋭(せんえい)な文学史というその稀有(けう)な美点でさえも付随的なものにすぎない。本書が著者の代表作になるだろうと思われる理由である。
    −−「今週の本棚:三浦雅士・評 『明治の表象空間』=松浦寿輝・著」、『毎日新聞』2014年09月07日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140907ddm015070022000c.html





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