覚え書:「今週の本棚:角田光代・評 『Red』=島本理生・著」、『毎日新聞』2014年11月23日(日)付。

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今週の本棚:角田光代・評 『Red』=島本理生・著
毎日新聞 2014年11月23日 東京朝刊

 (中央公論新社・1836円)

 ◇読者自身に人生の答え迫るラストの決断

 この小説を読みはじめ、最近読んだ新聞記事を思い出した。この一年性交渉がまったくない夫婦の割合が、二〇〇〇年の調査より大幅に増え、また、配偶者以外との親密なつきあいがこの一年にあったと答えた男女もやはり増加している、という記事だ。その調査結果の、まさに該当者のような夫婦がこの小説には登場する。

 三十一歳の塔子(とうこ)は、二歳の娘と、有名企業に勤める夫の真(しん)と、都内にある夫の実家で暮らしている。義父は出張で月の半分は留守、義母とは友人のように気が合う。夫とも仲がよく、結婚記念日には二人で食事に出かけもする。ただ、塔子が妊娠してから性交渉がないだけだ。

 友人の結婚式で塔子は、二十歳のときの交際相手と再会する。その当時三十代で、友人と会社を経営していた鞍田(くらた)である。鞍田の強引な誘いで、また二人は会うようになる。そうして塔子は、三年間封印していた女性としての自分を、引きずり出されるようにして解放させる。同時に、出産することで仕事を辞めざるを得なかった塔子は、鞍田の在籍する今の会社で契約社員として働きはじめる。

 「母である前に女」だとか「女である前に母」などというような言葉をどこかで聞いたことがあるが、この小説を読んでいると、母も妻も女も、みなひとりの個人が背負ったものではないかと思う。それらぜんぶを自覚的に背負った人が、どれほど孤独なのかをこの小説は描く。よき母であろうとすれば、よき妻であろうとすれば、魅力的な女性でいようとすれば、それらの集合体であるはずの個人が、なぜか存在感を淡くし、闇のような孤独にのみこまれていく。

 鞍田と塔子の睦(むつ)み合う官能的な場面が、静かに繊細に描かれ、その静けさと繊細さが激しさを強調する。夫ではない男に必死に抱かれている塔子は、快楽をむさぼっているというより、必死にもがきあがいているように思える。深い闇にさす糸のような光に。母でも妻でも娘でも女でもない、ひとりの人として、ここにあるはずの自分の存在をつかもうとして。

 先に、夫婦の問題は「性交渉がないだけ」と書いたが、次第に、「だけ」ではないことも浮かび上がる。じつは塔子自身も、夫婦の問題と、自身の抱えた問題の深刻さにも気づかなかったのではないか。鞍田の存在によってようやくその問題が浮かび上がり、塔子は会話を試みるが、塔子の言葉は夫には伝わらない。夫が悪いのではない、共通する言語、共通する概念がないだけなのだ。皮肉なことに、結婚し、深刻な事態にならないかぎり、共通する言語も概念もないとは気づかない。ここに、新聞のデータにはおさまらない、人と人とのなまなましい関係がある。

 夫の思う妻として母としての役割を押しつけられ、そのぶん奪われたものがあるという塔子の訴えを、夫は理解せず、また自身は夫として父としての役割を引き受けようとはせず、無意識に息子のままであろうとする。二人の言葉はけっして交わらず、そのことに私は絶望を覚えもするが、小説は絶望させて終わらず、さらなる先へと時間を紡いでいく。

 ラストの塔子の決断に、私は驚いた。驚きつつ、はっとした。年齢も立場も違う塔子に、私は自分を重ねていた。ひとりの人として、何を選択し何を捨てて、どう生きていくか、という考えを無意識に彼女にゆだねていた。ラストでびっくりしたのは、彼女の決断と私のそれが異なったからだ。読む人の多くは、塔子の決断にそれぞれ意見を持つだろう。それが、読者自身の人生の、ひとつの答えなのだと思う。
    −−「今週の本棚:角田光代・評 『Red』=島本理生・著」、『毎日新聞』2014年11月23日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20141123ddm015070017000c.html





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