覚え書:「宇沢弘文の世界 諸富徹さんが選ぶ本」、『朝日新聞』2014年11月23日(日)付。

4_2

        • -

宇沢弘文の世界 諸富徹さんが選ぶ本
[掲載]2014年11月23日

(写真キャプション)宇沢弘文氏。9月に86歳で死去


■社会問題解決する経済学
 経済学を超えて様々な学問分野に広範な影響を与えてきた経済学者の宇沢弘文さんが、今年9月に亡くなった。彼の仕事が多くの人々の共感を呼ぶのは、なぜだろうか。それは彼が、経済学を超えて正義と公平性にかなう社会の実現を求める「温かい心」をもち、水俣や成田などの現場に足繁(あししげ)く通って、虐げられた人々に寄り添ったその姿勢が、人々に訴えかけるものをもっていたからではないだろうか。

■「人間性の尊重」
 この観点から欠かせないのが、ベストセラーの『自動車の社会的費用』だ。この本は、小学生が自動車に轢(ひ)かれて死亡する痛ましい事故の話から始まる。子供の通行と遊び場だった道路に、いつしか車が入り込み、子供の命まで危険に曝(さら)される。ところが経済学は往々にして、事故などの社会的費用がいかに大きくとも、自動車利用の社会的便益がそれを上回ることを数量的に示し、「やむをえないではないか」と現状肯定を迫る。
 宇沢さんの問題意識は、社会問題から目をそらして「現状肯定の学」となっている経済学を批判し、「人間性の尊重」から出発する社会科学の再構築に向かうにはどうすればよいか、という点にあった。彼は本書で、自動車交通によって人々が市民的権利を侵害されずに暮らせるよう、道路や都市構造を造り替えた場合の総費用を計算し、自動車保有にとって禁止的といえる、当時(1970年代)の物価水準で約200万円/台という社会的費用をはじき出し、社会に衝撃を与えた。
 彼の仕事はここから、二つの方向へ発展していく。一つは経済学のあり方そのものを問い直すこと、もう一つは、市場経済を成り立たせるインフラのあり方を問い直すことであった。
 第一の仕事が結実したものとして挙げたいのが、『経済学の考え方』である。冒頭は、彼の原点となった、河上肇の『貧乏物語』(岩波文庫・713円)から始まる。これは経済学が、貧困をはじめとする社会問題を解決するための実践的な科学だ、という宣言に他ならない。本書で大きく扱われているのがスミス、マルクス、ヴェブレン、ケインズジョーン・ロビンソンである点に、宇沢さんの資本主義観がよく現れている。資本主義経済システムは、けっして予定調和的な一般均衡論で記述し尽くすことはできず、本質的に不確実で、不均衡を孕(はら)んだシステムだという認識だ。

■合理性常に疑う
 第二の仕事が結実したのが、『社会的共通資本−コモンズと都市』だ。「社会的共通資本」は、(1)道路・ダムなどの社会資本(2)自然資本(3)医療制度・教育制度などの制度資本、という三つの資本からなる。私は、ここにも宇沢さんの資本主義観がよく現れていると思う。一つは、市場は経済理論が想定する滑らかな空間で機能するのではなく、物的インフラに制約され、制度・ルールによって規定されているとみる制度主義の立場である。もう一つは、社会的共通資本は市場経済の荒波から市民を守る防波堤としての役割を果たし、結果として、資本主義システムを安定化させる装置として機能するという認識だ。
 宇沢さんは最後まで、みずみずしい感性を保って仕事を成し遂げた。彼のメッセージが多くの人々の心に届いたのは、社会から遊離した科学的合理性をつねに疑い、それを人間の側に引き戻そうと努めたからだ。宇沢さんの存在はもはやこの世になくとも、彼の精神は多くの人々の心の中で生き続けている。
    ◇
もろとみ・とおる 京都大学教授(経済学) 68年生まれ。『私たちはなぜ税金を納めるのか』(新潮選書)など。
    −−「宇沢弘文の世界 諸富徹さんが選ぶ本」、『朝日新聞』2014年11月23日(日)付。

        • -


http://book.asahi.com/reviews/column/2014112300002.html





42

Resize0278

自動車の社会的費用 (岩波新書 青版 B-47)
宇沢 弘文
岩波書店
売り上げランキング: 547

経済学の考え方 (岩波新書)
宇沢 弘文
岩波書店
売り上げランキング: 1,571

貧乏物語 (岩波文庫 青132-1)
河上 肇
岩波書店
売り上げランキング: 4,848