覚え書:「発言 海外から:ドイツの脱原発と宗教=ウルリヒ・フィッシャー 独プロテスタント教会前司教」、『毎日新聞』2015年01月06日(水)付。


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発言
海外から

ドイツの脱原発と宗教
ウルリヒ・フィッシャー 独プロテスタント教会前司教

福島第1原発事故が起きた後、ドイツは2022年までに段階的に原発を停止することをきめた。この決断から15年で4年が経過するが、ドイツの脱原発の背景には、声を上げ続けた宗教界の役割も見過ごせない要素としてある。
きっかけは1970年代だ。南部ライン川沿いお町ウィールで、原発建設計画が持ち上がり、地元農民が反対運動を始めた。当時はまだキリスト教が地域の農村に深く根付いており、教会も農民たちとしばしば行動を共にした。こうした経緯があり、ドイツでは徐々に教会もエネルギー問題に関与していった。
プロテスタント信者が守るべきものは三つある。平和、公正、そして自然や人間といった神が創造したものの保全だ。神の創造物を次世代に残す責任がある以上、その生存に影響を及ぼす原発からの脱却は需要となる。核のゴミ捨て場となる最終処分場すら決まらないのに、原子力を使い続けることも疑問だ。
「フクシマ」の後、メルケル政権は原発の是非を検討し、勧告する首相の諮問機関「倫理委員会」を設置した。政府は学者や政治家だけでなく、宗教界の意見も重視し、カトリックの代表者と共に私も17人の委員の一人に選ばれた。
原発の是非は結局、リスク評価の問題だ。私たちは原発自体のリスクに加え、脱原発を進めた際の経済へのダメージなど「原発を止めるリスク」も議論した。近代産業国家は原発なしでやっていけるのか。こうした比較が主要なテーマとなったが、今のドイツは原発事故が起きた際のリスクに耐えられる準備がとてもできていない。原発賛成派の委員のもこの点を認め、リスクをよく比較検討した結果、原発を止めるしかないとの結論を導いた。カトリック代表者も意見の違いはなかった。
むしろ同じプロテスタントでも、意見が異なるのは外国の信者だ。例えば原発大国フランスの信者には、違う考えの人が多い。もちろん外国に強制はできない。このため、欧州全体のプロテスタント教会としては、統一見解を出すのが困難になっている。
ただ、原子力利用は人類が越えてはいけない一線ではないか。アダムとイブは「善悪の知識の実」を食べることを禁じられたが、これを破り、楽園を追われた。原子力も禁断の木の実と同じではないだろうか。【構成・篠田航一】
    −−「発言 海外から:ドイツの脱原発と宗教=ウルリヒ・フィッシャー 独プロテスタント教会前司教」、『毎日新聞』2015年01月06日(水)付。

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