覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『青のパティニール 最初の風景画家』=石川美子・著」、『毎日新聞』2015年01月11日(日)付。

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今週の本棚:川本三郎・評 『青のパティニール 最初の風景画家』=石川美子・著
毎日新聞 2015年01月11日 東京朝刊

 (みすず書房・5400円)

 ◇自然、田園に「美」を見つけた画家を発見した書

 こういう画家がいたとは知らなかった。日本では一般にはほとんど知られていないのではないか。もちろん日本で美術展が開かれたことはない。

 十六世紀の前半、ベルギーのアントウェルペン(英語でアントワープ)に暮したパティニール。生年は確かではなく一四八○年か八五年。一五二四年に没している。

 生涯残した絵は二十点もない。フェルメールの三十数点より少ない。この画家が注目されたのは二○○七年にマドリッドプラド美術館で開かれたはじめてのパティニール展によってだという。

 フランス文学者である著者はパリでこの画家を知り、たちまち魅了された。ルーヴル美術館をはじめいくつかの美術館を巡り、数少ない彼の絵を見ていった。その行動力、知られざる画家をよく知りたいというみずみずしい好奇心が素晴しい。

 今日、風景画はもう当り前なものになっているから、それが西欧社会でいつ頃から描かれるようになったかを普通考えない。著者によればパティニールこそ「最初の風景画家」だという。同時代の画家デューラーは、彼を「良き風景画家」と呼んだ。「風景画家」という言葉は当時、新しい言葉だった。

 それまで画家の描く主題は「聖書」や神話、歴史であり、人物画が絵画だった。パティニールの絵も「聖ヒエロニムスのいる風景」「エジプトへの逃避のある風景」などその流れのなかで描かれている。

 ところが著者は、彼の絵を見ているうちに重大なことに気づく。主題は確かに人物だが、絵のなかでは中心にいる聖人やマリアよりも、彼らの背景にある風景のほうがはるかに大きく、また丁寧に描かれている。彼の絵を見る者は目を遠くの風景に向けることになる。

 山々、森、岩、港町、農家、麦畑、そして川。遠くには必ずといっていいほど地平線が見える。画家は美しい風景を俯瞰(ふかん)でとらえている。十六世紀にこれほど丹念に風景を描き込んだ画家はいないという。パティニールは明らかに人物よりも風景に惹(ひ)かれている。

 「風景の発見」である。山や森、村や川を描くのは言うまでもなく画家がまずそれを「美しい」と感じたから。そこから著者は、そもそも風景はいつごろから発見されていったのか、誰が自然や田園を美しいと意識するようになったのかと論を進めてゆく。この部分も蒙(もう)を啓(ひら)かれ、面白い。

 紀元前五世紀の歴史家ヘロドトスから十六世紀のトマス・モア、あるいはモンテーニュまでの旅行記や思索の書を読んでも、風景を美しいと見る記述はほとんどないという。自然や田園を「風景」としてではなく「環境」としてしか見ない。つまり、「美」を基準にするのではなく、人間にとって役に立つかどうかでしか見ない。土地が肥えているかどうか、水は充分にあるかという視点。

 そうした長く続いた「環境」に対してパティニールは「風景」を発見していった。

 口絵に何点かこの「最初の風景画家」の絵が紹介されている。確かに中心の人物より背景に目がゆく。そして「パティニール・ブルー」と呼ばれる青の美しさに驚く。

 画家自身はただ素直に自分が美しいと感じた山や野の風景を描いていたのだろう。それが結果として「風景の発見」になった。

 十九世紀末のフランスの作家ユイスマンスが彼の絵を所蔵していたという事実も興味をひく。まさに本書が貴重な「パティニール発見の書」になっている。
    −−「今週の本棚:川本三郎・評 『青のパティニール 最初の風景画家』=石川美子・著」、『毎日新聞』2015年01月11日(日)付。

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青のパティニール 最初の風景画家
石川 美子
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