覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『幻滅−外国人社会学者が見た戦後日本70年』『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』」、『毎日新聞』2015年01月25日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『幻滅−外国人社会学者が見た戦後日本70年』『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』
毎日新聞 2015年01月25日 東京朝刊


 ◆『幻滅−外国人社会学者が見た戦後日本70年』=ロナルド・ドーア

 (藤原書店・3024円)

 ◆『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』=ドナルド・キーン、河路由佳・著

 (白水社・1944円)

 ◇二大学者の存在は天からのご褒美

 ロナルド・ドーア氏(一九二五年生まれ)と言えば、二〇世紀後半の世界を見渡しても、おそらく最高の日本学者にして、最高の日本語使いの一人だろう。一九五〇年に初来日して以来、日本との付き合いは六五年にも及ぶ。その間、『日本の農地改革』『江戸時代の教育』『都市の日本人』といった日本社会に関する多くの重要な研究書を次々に世に送り出してきた。本書はそのドーア氏が戦後日本七〇年の歴史を振り返ると同時に、日本に対する自身の「感情の移り変わりの歴史」を記したものである。その結論は、タイトルが指し示している通り。「大変な日本びいきだった若い頃」から、日本の政府やエリートに「違和感しか感じないようになった」最近までの軌跡が、ここに描かれている。

 本書を通じて明らかになる著者の姿は、どんなものだろうか。ドーア氏はイギリス人だが、階級社会の上に立つエリートではなく、労働者階級出身、鉄道機関士の息子だった。来日後間もないころ、日本で良家のお嬢さんに恋をした(「極端に惚(ほ)れていた」)が、身分が違いすぎて結婚など問題外とされた経験を持つ。だからイギリス紳士の気難しさとも、大英帝国の威光とも無縁である。庶民的な率直さで日本人コミュニティに溶け込み、農村や都会の実地調査を精力的に行う一方で、多くの友人を作っていった。吉田健一中野好夫丸山眞男鶴見俊輔加藤周一といった文人・知識人から、東畑精一大来佐武郎、永井道雄といった政・官界の実力者まで。幸せなことに、当時の日本では、思想的立場を超えて、様々な人たちが国家と社会をめぐって率直に議論できる論壇というものがまだ機能していた。

 ドーア氏は、現実に根ざし、具体的な事実の実証的な調査から出発しながら、天下国家の重大事を好んで論ずる。ある時点から彼は「公共的知識人」としての自覚を強め、学術的著作によって業績をあげるよりも、日本社会が直面する問題について積極的に発言するようになった。そして、日本のアメリカ追随政策や、軍国主義化の傾向を批判し、「右傾化」を憂えた。新自由主義的な「構造改革」は、彼に言わせればアメリカに留学した「洗脳世代」のインチキなスローガンに過ぎない。それに対して、「思いやり」「義理」「協力」を重んずる日本の伝統的価値観をむしろよしとした。その背後には、江戸時代の儒学の重要性を知り抜いた学識がある。

 このような物言いに対しては、異論もあるだろう。しかし、ドーア氏が素晴らしいのは、特定の思想や「イズム」に縛られることなく、左や右の区別を超えて、本当に大事と思われることをずばりと言ってのけるところにある。「憲法改正絶対反対」という線に固執せず、むしろきちんと改正して本当の平和憲法にしたほうがいいとか、日本は独自に非核宣言をしたうえで新しい核兵器管理体制を国際的に作る努力をするべきだ、といった彼の主張は、奇矯に響くようで、じつは傾聴に値する正論ではないか。巻末に再録された、日本の軍備と憲法をめぐる「やまと屋の犬」という寓話(ぐうわ)は、秀逸。偽善を厳しく批判しながらも、ユーモアを忘れることのない著者の面目躍如である。

 たまたまドーア氏とほぼ同世代の、日本文学研究の不世出の巨人、ドナルド・キーン氏(一九二二年生まれ)もまた生涯の総決算をする時期に入っているので、あえて対比のために触れておきたい。日本語版全一五巻の著作集(新潮社)も順調に刊行が進み、その中には『自叙伝 決定版』(第一〇巻、昨年六月刊)も含まれているし、最近別途、聞き書きによる『わたしの日本語修行』(聞き手・河路由佳)という、日本語との関わりに焦点を合わせた回想録も出た。キーン氏はアメリカ人だが、奇(く)しくも、軍の学校で最初に日本語を学んだというところはドーア氏と共通している。

 『源氏物語』の優美な世界に惹(ひ)かれて日本語の道に入ったキーン氏は、本書でも生涯を貫く日本への愛を語り続けている。そして、現代の日本に幻滅したというドーア氏とは対照的に、彼は二〇一一年、大震災の後、ニューヨークの住居をたたんで日本に定住、翌年には日本国籍も取得した。本書によれば、「日本を愛しているから」こそ日本人となって日本に住み、困難なときに日本人に寄り添いたいと思ったのだという。しかし、そのキーン氏にしても最近は談話などで「もう内輪褒めはしない」と言って、よき伝統をないがしろにする日本に対する怒りを露(あら)わにしている。

 こういった発言を苦々しく思う日本人もいることだろう。良薬は口に苦し。私には、ドーア、キーンの二人の存在そのものが、その批判的な姿勢も含めて、日本人がこれまで作ってきた良きことに対して天から与えられたご褒美のように思えてならない。これほどの日本学者がいる以上、日本が悪い国であるわけがない。いや、悪い国であってはならない。
    −−「今週の本棚:沼野充義・評 『幻滅−外国人社会学者が見た戦後日本70年』『ドナルド・キーン わたしの日本語修行』」、『毎日新聞』2015年01月25日(日)付。

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