覚え書:「耕論:中東と日本のはざまで 師岡カリーマ・エルサムニーさん、ナジーブ・エルカシュさん」、『朝日新聞』2015年02月24日(土)付。
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耕論:中東と日本のはざまで 師岡カリーマ・エルサムニーさん、ナジーブ・エルカシュさん
2015年02月24日
パリの新聞社襲撃や日本人拘束など、イスラム過激派による衝撃的な事件が相次いでいる。中東に深いゆかりがあり、いまは日本で活動している人たちの目に、一連の事態や日本社会の反応はどう映ったのだろうか。
■イスラム教、道具にしたツケ 師岡(もろおか)カリーマ・エルサムニーさん
日本では「イスラム国」と呼ばれることがまだ多いあの過激派組織のことを、アラブ人は、かつての名称の頭文字をとって「ダーイシュ」と呼びます。響きが軽く、軽蔑を込めた呼び方です。
彼らはなぜ生まれたのか。私は20世紀という時代に、ありとあらゆる人たちが、中東地域で「宗教」というカードを使ってきた結果だと思っています。米国も英国も現地勢力も、自らの利益を達成する道具としてイスラム教をずっと使ってきたし、現地もそれに乗っかってきた。こうしたすべてのことが化学反応を起こし、いま爆発している。
エジプトで過ごした高校時代に私が目の当たりにしたのが、79年のソ連のアフガニスタン侵攻後の動きです。冷戦構造の下、米国は「ソ連という無神論者に対するムスリムの戦いだ」と位置づけ、80年代にはアラブ諸国からムジャヒディン(イスラム戦士)と呼ばれる何万人もの青年が戦地へ行った。これがその後アルカイダへとつながっていくのですが、当時エジプトで純粋な信仰心をもった学校の先生が、「絶対悪のソ連と絶対善の私たち」という単純な教え方をするのを聞いて、「あれっ、おかしいな」と思いました。
私がそう感じたのは、敬虔(けいけん)なイスラム教徒の父が、そういった考え方を拒む人だったことが影響していたと思います。また自分が半分日本人だということもあるかもしれません。どちらにしろ、戦争や政治にイスラムが利用される中で、ゆがんだ宗教教育がはびこってしまったことも事実なのです。
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<想像力働かせて> 「ダーイシュ」はイスラム教とは無関係です。でも同時に、イスラム世界からあれが出てきたという現実に向き合おうという声も、アラブの知識階級の間で大きな課題として浮上しています。
とはいえ、彼らの本当の正体はまだ誰にもわかっていない。あの犯罪者集団がいることで誰が利益を得ているのか。ただ一ついえることは、彼らに日々殺害されている犠牲者の大半はイスラム教徒だということです。
いま私は日本の大学で、アラビア語とアラブ文化を教えています。学生にいつも言っているのは、想像力を働かせれば説明できることを、決して「イスラム教徒だから」という説明で理解しようとしてはいけないということです。
日本のメディアによくある傾向ですが、イスラム教徒は「枕ことば」をつけて説明しないといけない存在だと思われている。2008年にイラクを訪問したブッシュ米大統領(当時)が、現地記者に靴を投げつけられたことがありました。あの時も「イスラム教において靴を投げるのは最大級の侮辱で……」といった報道があった。イスラム教には靴を投げることについての教えはありません。汚いものを投げるのはその人に対する侮辱だと、宗教を持ち出さなくても日本人にはわかるはずです。
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<異質視残る西洋> 歴史的に、西洋にとってイスラムは一番近くにいる大きな敵でした。そのためか、西洋人のイスラム観には「異質なもの」を見る感覚が残っている。日本も一部でそれを踏襲していないでしょうか。
フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」の襲撃事件の後、こんな風刺画が話題になりました。何者かが銃を発砲し、その弾が新聞社の建物を通過して、後ろのモスクに降りかかっているのです。
テロは非イスラム的な行為なのに、こんなふうにとばっちりがくることを、日本のイスラム教徒たちは案じ、悲しんでいます。イスラム教の印象があまりにも悪くなって、これからも人前で「私はイスラム教徒です」と言えるだろうかと、不安を感じている。
メディアが「ダーイシュ」を「イスラム国」と呼ぶことで、一般の人は彼らとイスラム教徒を混同してしまいかねない。イスラム国家という言葉には、イスラム世界が一番輝いていた時代というイメージがあり、特別な思想を持たないイスラム教徒にとって「心の故郷」のような重みがあります。この言葉を汚してほしくないのです。
彼らを確実に孤立させるためにも、日本人もイスラム教徒も同じ側の人間だということを、いつも心に留めておく必要があると思います。(聞き手・鈴木暁子)
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アナウンサー・作家 70年東京生まれ。父はエジプト人、母は日本人。中学入学から大学卒業までエジプトで暮らす。カイロ大卒。独協大、慶応大非常勤講師。
■続かぬ関心、また薄れるのか ナジーブ・エルカシュさん
日本社会に中東やアラブ世界、イスラムへの関心を呼び覚ますニュースが相次ぎました。
愛知県内のモスク(イスラム礼拝所)が脅迫電話や嫌がらせを受けるなど、イスラムに対する否定的な反応もありました。一方で、「正しく理解しなければ」という前向きな声もたくさん聞こえてきました。
これほど大きな事件が起きれば、注目は急激に高まって当然です。しかし、少し時間が過ぎれば、大きく膨らんでいた興味がしぼみ、また「関心ゼロ」に戻ってしまうのではないかと心配しています。
これまでの経験を振り返ると、日本社会で時々盛り上がる「アラブブーム」は、打ち上げ花火のようにはかないものでしかありませんでした。
私がロンドンでの留学を経て来日したのは1997年。東京大や名古屋大大学院などで映画理論を研究していたことから、国際交流基金が2005年に始めた「アラブ映画祭」にアドバイザーとして参加しました。
プログラム・ディレクターの石坂健治・日本映画大教授は先入観を持たずに作品を評価し、良作を選んでくれました。紛争やテロなどのイメージにとらわれず、中東の様々な地域の映画が楽しめる機会でした。
しかし、わずか4年しか続きませんでした。
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<親近感蓄積せず> 映画祭の準備に呼ばれたのは、04年のことです。前年にイラク戦争が始まり、自衛隊がイラク南部サマワに派遣され始めるなど、日本国内では石油危機の後で、もっとも中東への関心が高まった時期と重なります。映画祭は新聞などでも広く紹介され、多くの観客が来場しました。
でも、その関心もだんだんと薄れてしまったのでしょう。08年末に自衛隊がイラクから撤収した後、アラブ映画祭が開かれたことはありません。
このように、約10年ごとに大事件が起きたときばかり中東に注目しているようでは、アラブ文化への知識、親近感を蓄積することなんて不可能です。
アラブ世界と徹底的に交流したいのか。困ったときや事件が起きたときだけのお付き合いで良いのか。そろそろ日本社会全体で決断してくれれば良いのに、とさえ思います。
イラク戦争の時も、今年1月から続いたテロ事件の時にも、日本社会の反応を見ていると、中東に向けられたまなざしの中に気になる部分がありました。
それは、パレスチナ人の思想家エドワード・サイードが問題提起した「オリエンタリズム」そのものの視点です。
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<今の姿を知って> オリエンタリズムとは、西洋が中心だという考えの中で、アラブを含む東洋の伝統や文化などを「自分たちに比べて遅れている、奇妙な存在だ」とする考え方です。
日本に居ながらにして欧米社会と同じ価値観を通じてアラブ世界を見ているというのでは、日本人の世界観が西洋に「支配」されているのではないかと感じます。
ベリーダンスやエジプトの古代遺跡など、「エキゾチック」な側面にしか注目しない人たちを見ていても、そのような疑いをもってしまいます。
まずは今の時代を生きるアラブの人々が、どのような文化に接しているかを知るところから始めてはどうでしょうか。
08年に「アラブ・アジア文化交流協会」を設立し、東京や京都でイベントを開催してきました。ジャズやアニメなど、アラブ世界の現代文化を紹介すると、多くの観客から驚きと共感が集まりました。
パリでの事件では、日本メディアでも預言者ムハンマドの風刺画と「言論の自由」との関係について大きな話題になっていました。
せっかくなら、アラブ世界で活躍している多くの風刺画家たちについても、ニュースの中で紹介して欲しかった。
そこにもペンや表現力を武器に、権力や権威と闘っている人たちがいることを伝えれば、日本社会がまた一段と、理解を深めるきっかけになるだろうにと思います。(聞き手・山西厚)
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シリア人ジャーナリスト 73年生まれ。ロンドン留学を経て、来日。運営するテレビ制作会社では日本やアジアに関する取材をし、アラブ諸国の放送局に配信している。
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