覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『幻島はるかなり−推理・幻想文学の七十年』=紀田順一郎・著」、『毎日新聞』2015年03月01日(日)付。

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今週の本棚:川本三郎・評 『幻島はるかなり−推理・幻想文学の七十年』=紀田順一郎・著

毎日新聞 2015年03月01日 東京朝刊


 (松籟社・2592円)
 ◇「サブカルチャー」への関心の高まり

 現在ではとても考えられないことだが、昭和三十年ごろ、推理小説幻想文学、怪奇文学は世に認められていなかった。

 著者(昭和十年生まれ)は、慶應(けいおう)義塾の大学生だった頃、ミステリを読む時には、他人にそれと分からぬようつねに本にカバーをかけて隠していたという。

 当時、推理小説が新聞雑誌の書評で取り上げられることはまずなかった。作家自身も「推理小説は文学か」と悩んでいた。

 ちなみに用語だが、古くは「探偵小説」と言った。戦後、その「偵」の字が当用漢字から消えたため「推理小説」となり、さらに「ミステリ」と変わった。

 一九五三年に早川書房から「ポケット・ミステリ」が創刊され、人気になったのが「ミステリ」が使われるようになったきっかけだろう。

 著者は子供の頃から探偵小説や怪奇小説を読むのが好きで、芥川龍之介のなかではとくに『魔術』を愛読したという。

 一九五四年に慶應義塾大学に入学してからは、その趣味がいよいよ昂(こう)じてゆき、大学の授業より内外のミステリに耽溺(たんでき)する。

 一般に、ミステリ好きと古書好きは重なるものだが、著者も暇があれば神保町の古書街を歩く(その結果、のちに『幻書辞典』などの古書を扱ったミステリを書く)。

 慶應の学生時代には、推理小説同好会を立ち上げる。当時としては珍しい。大学のミステリ研究会の最初という。年季が入っている。大学の学園祭に江戸川乱歩を呼んで講演をしてもらったこともある。

 当時の仲間の一人が、のちに「怪獣博士」として知られたSF評論家の大伴昌司。共に陽(ひ)の当たらないジャンルの小説が好きだったので急速に親しくなった。資産家の子息らしく高等遊民のような暮しをしていた大伴昌司の若き日の変人ぶり(いまふうに言えばオタク)が面白く読ませる(のちに疎遠になるが)。

 大伴昌司の発案で、怪奇文学専門の同人誌を作ることになる。『THE HORROR』という創刊号を出したのが一九六三年。幻想小説がまだ世の片隅に置かれ、アカデミズムに相手にもされなかった時代に、同人誌とはいえ、専門の雑誌を作る。その熱意には頭が下がる。新しい文化はいつも周縁から生まれる。

 資料収集のため若き著者は、古書店や洋書店に頻繁に足を運ぶ。それだけではない。アメリカの、このジャンルの専門出版社アーカムハウスに手紙を出し、目録を送ってもらう。それが届いた時には大喜びする。ういういしい!

 『THE HORROR』の創刊号の部数は数十部。関心を持ってくれそうな作家や、友人知人に送り、定期購読者を募る。それに星新一や、当時は無名の若者だった荒俣宏が応じたのはさすが。当時、まだこの言葉はなかったが「サブカルチャー」への関心が若い世代のあいだで高まりつつあったのだろう。

 『THE HORROR』の顧問を誰にするか。『魔人ドラキュラ』など異端の文学をこつこつ(、、、、)と訳していたこの世界の大先輩、平井呈一に頼むことにする。

 著者は、大伴昌司と二人で房総半島の田舎に住む平井呈一を訪ねてゆく。このくだりは感動的。

 六十一歳になる平井老は世捨人のような清貧の暮しをしている。若い二人が訪ねると、「おお、おお、よく来た、よく来た」と歓待し、顧問を引受けてくれた。

 実は、平井呈一は悪名が知られていた。戦前の若き日、永井荷風に親炙(しんしゃ)した。そのあと荷風の原稿や短冊を売り、師の怒りを買った。戦後、荷風は『来訪者』という小説で、そのことを書き、筆誅(ひっちゅう)を加えた。ために平井呈一は出版界から追われた。

 失意のなか、平井呈一は、自分の好きな怪奇幻想小説を細々と訳し続けていた。そこに二人の若者が敬意を持って訪ねて来た。喜びはいかばかりだったか。

 著者は、平井呈一がこのあと訳すことになる幻想文学の古典、ウォルポールの『オトラント城綺譚(きたん)』の出版にも尽力した。

 出版社は意外にも怪奇幻想文学とは縁がなかった新人物往来社。心ある編集者が「編集会議にかけてから」などと言わずに即決した。編集者の心意気があった時代である。

 平井呈一は、このあと『全訳小泉八雲作品集』全十二巻(恒文社)を出版し、汚名をそそぐことになる。

 著者、紀田順一郎は、平井呈一同様、在野に徹している。筆一本の人。大学卒業後、畑違いの小さな貿易会社に勤めながら好きなミステリや幻想文学について原稿を書いた。二足のわらじはつらかったという。そして三十歳直前で、筆一本で生きる覚悟を決めた。

 こういう著者の下支えがあって、今日のミステリや幻想文学の隆盛がある。まさに「種蒔(ま)く人」。

 戦後の異端の文学の出版史であると同時に、紀田順一郎という在野に徹した自由人の豊かな個人史になっている。
    −−「今週の本棚:川本三郎・評 『幻島はるかなり−推理・幻想文学の七十年』=紀田順一郎・著」、『毎日新聞』2015年03月01日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150301ddm015070005000c.html





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