覚え書:「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 震災4年の重み 民俗学者・赤坂憲雄さん」、『毎日新聞』2015年03月11日(水)付。

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特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 震災4年の重み 民俗学者赤坂憲雄さん

毎日新聞 2015年03月11日 東京夕刊
(写真キャプション)インタビューに答える学習院大学赤坂憲雄教授=東京都豊島区で、藤井達也撮影


 ◇「何か」が瓦解しつつある−−赤坂憲雄さん(61)

 江戸時代にかえったんだよ−−そんな言葉を土地の人から聞いて、思った。「東日本大震災で突きつけられたのは、人と自然との境界線をどのように引き直すのかということではなかったか」と。

 冬の寒さが戻ってきた日、膨大な数の書籍が並んだ研究室で、「東北学」を提唱する民俗学者赤坂憲雄さん(61)は声を絞り出すように語り始めた。

 津波の被害を受けた被災地では今、巨大な防潮堤や土地のかさ上げの工事が進む。土砂を運ぶダンプや巨大なベルトコンベヤーは、しばしば進展する復興の象徴として映し出される。しかし、東北の生活文化や歴史について研究するため現地を歩いてきた赤坂さんには、そうは映らない。

 「とても厳しい被害を受けた土地で『ここはかつて海だったんです』と何度となく聞きました。この国は1億3000万人弱の人口を抱え、かれらを生かすために、自然の懐深くに入り込んで海岸線を引いてきた。それが、大津波によって突破された」

 悲しみと嘆き−−そして4年が過ぎた。「例えば、気仙沼のある地域では、失われていた干潟環境が津波によって復活し、そこでアサリが大繁殖を始めました。南相馬では絶滅危惧種ミズアオイの種子が一斉に芽吹き、各地に水鳥が飛来している。津波が人間のテリトリーを侵したわけですが、そこに思いがけず自然が復元・再生を始めている。ならば、自然が示した境界線を受け入れるシナリオがあってもいい、潟に還してやる選択があってもいい、と思うようになりました」

 ところが、と表情が曇った。「日本全体で人口減や高齢化が進み、被災地では若い世代が流出している。その状況の下で、将来どんな地域社会を作るのかとイメージするとき、『復旧』はもはやリアリティーがない。にもかかわらず、巨大な防潮堤によってその海岸線を復旧させることが善であり、正しいことであるかのように動いている。しかもベクトルは復旧でも、実際にそれが転がり出したとたん、沿岸での漁に影響が出たり、海が見えなくなり観光が痛手を受けたりするといった大きな変化が地域社会に起ころうとしている。この復興には正解とされるモデルがないのです」

 建設が進む巨大防潮堤に思う。「人と自然との関係において、ここまで人間が自然を傷つけ、人間の側にひきずり寄せるような形で変えてしまうことは許されるのだろうか。畏れにも似た感覚を持たざるを得ないのです」

 震災はまた、生者と死者の境界線を揺るがせた。

 赤坂さんがタブレット端末を取り出し、一枚の写真を見せてくれた。震災直後、火葬が間に合わず、犠牲者が一時的に埋葬されていた場所を訪れた。「ただ、手を合わせて歩いていました。この写真は最後に一枚だけ撮影させていただいたもの。何気なく撮ったもので、あとから見て衝撃を受けました」。詳細は伏すが、埋葬された犠牲者と自分との“共通点”がいくつも写り込んでいた。「とても不思議な体験でした」

 「遠野物語」には、明治の三陸津波で亡くなった妻の幽霊と出会った話がある。赤坂さんは被災地でも「幽霊に出会った」話をよく耳にした。自分自身が「不思議な体験」をしたことで、そうした話について深く考えるようになったという。

 津波は一瞬にして、生者と死者を引き離した。「誰も心の準備なんかできないし、一瞬にしてある人は助かり、ある人は津波に流されてしまう。その人がいい人か悪い人かとか、生前に徳を積んでいたとか、そんなことは何も関係がなくて、残酷な偶然によって断ち切られる。生き残った人は、なぜ自分が生き残ってしまったのかと、自分を責める。最後の言葉を交わすこともできずに断ち切られた関係を、幽霊に出会ったとか、気配を感じたとか、そういう形で取り戻したいということなのかもしれません。亡くなった人たちと何とか和解したい、という気持ちの表れなのだろうと思いますね」

 行方不明者はいまだ2500人以上。「遺体があればまだ納得できるかもしれませんが、そうでない犠牲者の家族はずっと苦しんでいます。鎮魂や供養が心の深いところで求められている」。被災地では、各地で鹿(しし)踊りなどの民俗芸能が早い段階から再興された。赤坂さんは「鎮魂の芸能が必要とされる状況があったからでしょう。生き残った人たちの心の癒やしは、まだ始まったばかりです」と話す。

 この4年間で日本社会はどう変わったか。そう尋ねると赤坂さんは「想像していなかった方向に、日本社会が大きく変わろうとしていることにぼうぜんとしています」と危機感をあらわにした。

 「東京電力福島第1原発の事故はいまだに収束の方向性すら見えませんが、放射線の被ばくによる危険や対処法の問題はほとんど議論されなくなり、除染によって何がどう変わったかも曖昧。帰還ありきでなし崩しに動いている。これだけの巨大な爆発事故を起こし、途方もない汚染状況をつくりながら誰一人として責任を取ろうとしない。東電の企業責任が問われない。原発を国策としてきた政治の総括もなされない。どこにも事故の収束のためのシナリオが示されず、事態がコントロールされているなど誰も信じていない。いつの間にか原発が『安くて安全で、安心だ』とは言われなくなり、それでいて国は原発の再稼働に向けて動いている。この事態は幻惑的ですね。最初に、何かを隠し、そのためにさらに隠蔽(いんぺい)と欺まんを重ねざるを得なくなる。あらゆる責任が曖昧にされ、なかったことにされる。日本社会では今、そんな大きなモラルハザードが起こっているのではないでしょうか」

 「境界線」の揺らぎは、原発や被災地にとどまらないということなのか。

 「『何か』が瓦解(がかい)しつつある。冷静な議論を経て、国民の将来や国益を守るための選択がなされているとは思えない。我々が戦後何とか守り育ててきた自由や平和や生存の権利といったものを、まともな議論もなく突き崩していくことが何を意味するのか。関東大震災(1923年)を起点に戦争の時代へと突き進んだ日本社会の瓦解と重なってしまいます」

 揺らいだ震災後の社会で、我々はどんな「境界線」を引くべきなのか。帰り道、赤坂さんが最後に「震災から4年という記念日には、何の意味もない」とつぶやいた声が頭を離れない。突き刺すような冷たい雨が、ポツリ、ポツリと降り始めた。【樋口淳也】

  ◇   ◇   ◇

 東日本大震災から4年。この国は何が変わり、変わらないのか。識者3人と考えた。

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 ■人物略歴
 ◇あかさか・のりお

 東京都生まれ。学習院大教授、福島県立博物館長、遠野文化研究センター所長。著書に「震災考」「司馬遼太郎 東北をゆく」など。
    −−「特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 震災4年の重み 民俗学者赤坂憲雄さん」、『毎日新聞』2015年03月11日(水)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/m20150311dde012040003000c.html





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