覚え書:「今週の本棚:荒川洋治・評 『新編 中国名詩選 上・中・下』=川合康三・編訳」、『毎日新聞』2015年04月19日(日)付。


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今週の本棚:荒川洋治・評 『新編 中国名詩選 上・中・下』=川合康三・編訳
毎日新聞 2015年04月19日 東京朝刊

 (岩波文庫・各1231円)

 ◇詩を読むことばの新しい世界

 屈原(くつげん)、李白(りはく)、杜甫(とほ)、白楽天(はくらくてん)の名前くらいしか知らないぼくもこの本には引きこまれた。同名の岩波文庫(松枝茂夫編・一九八三?一九八六)から三〇年ぶりの「新編」だ。今回の編訳者は川合康三。約五〇〇首を選んで鑑賞する。

 上古、『詩経』から唐(初唐、盛唐、中唐、晩唐)、北宋南宋、元、明、清まで時代別に全三巻。まず時代ごとの概観。そのあと詩人別に。作者の紹介→原文→訓読→語注→訳→補釈。この手順は、従来の類書とほぼ同じ。内容はどうか。

 たとえば杜甫「春望(しゅんぼう)」の第一句。原文<國破山河在>。訓読<国破(くにやぶ)れて山河在(さんがあ)り>。訳<都は打ち壊されても山河は存する>。「訓読」は、日本人の理解に有効だが、とらわれすぎて原文のおもむきを損なうことも。「訓読に頼るために、日本語訳が西洋の翻訳のようには発達しませんでした」と、冒頭の「はしがき」で編訳者は記す。だから「訳」「補釈」は重要になる。

 同「はしがき」によると、「訳」では「原文にないことは加えない、原文にあることは省かない、そうすることによって原文との透明な関係を目指しました」。「補釈」は「訳」の「透明な関係」をさらに整える。自然は山も河もあり、草木も春の営みをするが、「それに対して人の世界は秩序を失っている」「戦禍の苦しみが世間、家族と絞られ、末二句で自己に収束する」と。「補釈」によって詩の姿はより鮮明になる。

 韓愈(かんゆ)の、早春をうたう七言絶句の「補釈」には「若草は、離れて全体を見ればそれと知られるが、まだわずかであるために近寄ってみれば見えない。そんなきめ細かい目で早春の景を喜ぶ」とある。詩の作者と同等のこまかい動きが「補釈」にも感じられる。こうして詩を読むときの新しいことばが生まれるのだ。それをたどることが、この本を読む楽しさである。

 張籍(ちょうせき)「秋思(しゅうし)」は、故郷への思いがつのり手紙を書くという内容の詩。末二句は、「訳」では「急いで認(したた)め言い尽くせなかったかと気になって、旅人の出立前にもう一度封を開く」だ。「補釈」では、「手紙を届けてもらう人の出発間際になってもまた封を開いて書き足す。いかにもありそうな日常の一齣(ひとこま)を取り上げて、家にのこした家族への思いをうたう」。

 原文は「行人(こうじん)」だから、「訳」では単に「旅人」と記すことになる。実は、ここでの「行人」は手紙を托(たく)する人(すでに「語注」にある)。だからそのことを踏まえた「補釈」で、「手紙を届けてもらう人」ということばが出てくるのだ。

 こういうふうに、こまかく見てみると、とても感動的だ。ひとつひとつの詩に、いのちがふきこまれる。「補釈」については「はしがき」で、「意味のない美辞麗句を並べることは排し」たとある。これまでの鑑賞文とは異なるものだ。これが本書の「秩序」なのだと思う。

 中国の詩、三〇〇〇年の歴史を見渡す「解説??中国の詩」(下巻)は「中国の詩の特質」「詩の作り手と受け手」「詩の題材」「詩の形式」「詩の情感」の五項目。北宋末の李清照(りせいしょう)など、数少ない女性詩人についての叙述も興味深い。「友情詩の背後には大量の恋愛詩があったと想定したい」。新しい見方を示すときも、とてもていねいだ。

 同じ内容の「はしがき」が、上巻・中巻・下巻、すべての冒頭に付いているのも親切だ。このうちの一冊だけをもって外に出ても、「はしがき」を読むことができる。これはどういう本なのかということが、いつでもわかるのだ。
    −−「今週の本棚:荒川洋治・評 『新編 中国名詩選 上・中・下』=川合康三・編訳」、『毎日新聞』2015年04月19日(日)付。

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