覚え書：「ニュースの本棚：ギュンター・グラスの世界　依岡隆児さんが選ぶ本　[文]依岡隆児（徳島大学教授・ドイツ文学）」、『朝日新聞』2015年06月07日（日）付。

- - - -

ニュースの本棚
ギュンター・グラスの世界　依岡隆児さんが選ぶ本
[文]依岡隆児（徳島大学教授・ドイツ文学）　 [掲載]2015年06月07日

（写真キャプション）４月１３日に亡くなったギュンター・グラス氏＝ロイター

■戦争の現実照らす反骨精神
　戦後７０年の今年、ドイツの作家ギュンター・グラスが亡くなった。その言動は日本でもよく取り上げられる世界的な作家だった。リューベックで行われた追悼式には、ジョン・アーヴィングも駆けつけている。「過ぎ去る時に逆らって」書くことを信条に創作を続けながら、政治社会問題が起こると粘り強く異議申し立てもする。タブーを恐れぬ物言いでマスコミと対立することもしばしば、まさに「渦中」にある作家だった。
　１９２７年にダンツィヒに生まれ、戦争の時代に育った。兵士として前線に送られ、戦争の悲惨を思い知る。それゆえ戦後になると懐疑的に現実を見るようになった。ドイツの文学に批判精神を育てた「４７年グループ」で認められ、５９年には小説『ブリキの太鼓』を発表、一躍現代ドイツ文学の旗手となる。
　ブリキの太鼓を叩（たた）く三歳児の姿をした男の目で、戦前から戦後のドイツの小市民世界を描いた傑作である。グロテスクなイメージとほとばしり出るような語りで、戦争の現実を独特な視点から照らし出し、批判的に時代と向き合う新しい文学をもたらした。高本研一訳（集英社文庫）と新訳の池内紀訳があるので、読み比べてみるのもいいだろう。シュレンドルフ監督が映画化した際にはグラス自身も協力したが、戦後の部分はカットし、語りも原作と違って子どもの声にしていた。

■反核平和運動も
　『猫と鼠』（集英社・品切れ）も忘れてはならない。戦時下の地方都市を舞台にのど仏が大きいことを気に病む少年が、それゆえ時局に迎合し、やがて前線の英雄になるも、失踪するという短篇（たんぺん）である。卑猥（ひわい）で涜神（とくしん）的だとして青少年を害する図書に指定されることもあったが、いつもは辛口の批評家ライヒ・ラニツキもこの作品は絶賛した。
　６０年代には政治に積極的に関わり、その後も市民活動家として反核平和運動を続けた。８６年の『女ねずみ』は一部で酷評されたが、時代に対する危機意識が書かせた作品だ。核の脅威や科学技術の暴走、環境破壊といった地球規模での危機が一層先鋭化している今、あらためて手に取りたい本である。人類滅亡後から現在を振り返るねずみとの対話で、人類の危機を語っている。作家としての無力感にさいなまれながらも、文学的想像力を駆使した力作である。

■問題作を次々に
　『ひらめ』『はてしなき荒野』『私の一世紀』と、過去とのつながりで現在を語る問題作を次々と出し、９９年にはノーベル文学賞を受賞した。ところが２００６年には自伝的小説『玉ねぎの皮をむきながら』で戦争末期にナチス武装親衛隊員であったことを告白、また物議を醸す。自らを恥じつつ、記憶を「玉ねぎ」に見立て慎重に皮をむいていくように語る、そのニュアンスこそ命だ。ゆっくり読んでいただきたい。自分の過去を想起しているとすぐに嘘（うそ）や言い逃れ、美化が入り込んでくるとして、自伝的とはいえ「自伝」自体に内省的でもある。戦争の記憶の継承や歴史認識といった、今またアクチュアルになっているテーマについても深く考えさせる。母との死別シーンなど、印象深い箇所も少なくない。
　無関心という偽りの平和をかき乱し、波紋を広げた作家だった。自らの死を歌う詩で、胡桃（くるみ）と入れ歯も一緒に埋葬してくれと書いていた。棺の中でパチッと音がしたらそれは自分だと。死してなお、その反骨の精神は生き続けることだろう。
　　　　◇
よりおか・りゅうじ　徳島大学教授（ドイツ文学）　６１年生まれ。『ギュンター・グラス　「渦中」の文学者』ほか。
　　　　−−「ニュースの本棚：ギュンター・グラスの世界　依岡隆児さんが選ぶ本　[文]依岡隆児（徳島大学教授・ドイツ文学）」、『朝日新聞』2015年06月07日（日）付。