覚え書:「発信箱:鶴見俊輔さんの絵本=小国綾子(夕刊編集部)」、『毎日新聞』2015年08月04日(火)付。

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発信箱:鶴見俊輔さんの絵本=小国綾子(夕刊編集部)
毎日新聞 2015年08月04日

 哲学者、鶴見俊輔さんの訃報を聞いて、彼の絵本「わたしが外人だったころ」を読み返した。15歳で渡米し、戦争を迎え、敵国人として留置され、交換船で日本に帰国した半生を振り返り、米国でも日本でも自分を「外人」だと感じてきたとつづる。<自分の底にむかっておりてゆくと、今もわたしは外人です>とも。

 絵本を見開いたページには、空飛ぶ戦闘機や、赤や黄色の炎を上げて燃える街の絵。東京での空襲体験を語るのと同じそのページで、鶴見さんはアメリカ時代の思い出を打ち明けている。日米開戦を最初に知らせてくれた学生時代の米国人の友人の言葉。「これから憎みあうことになると思う。しかし、それをこえて、わたしたちのつながりが生きのびることを祈る」。鶴見さんはしかし、憎めない、と書いた。「日本にもどってからも、わたしはアメリカ人を憎むことができないでいました。自分が撃沈か空襲で死ぬとしても、憎むことはできないだろうと思いました」と。

 死ぬとしても憎めない−−。そんな言葉を読むたび、人と人との結びつきの力強さを思う。どんな安全保障よりも、一人一人が友達になることの方が強いと信じたくなる。74年前、確かに日米開戦を回避できなかった。けれどもあの日、太平洋を隔ててもっともっと多くの友情が存在していたなら、別の歴史もありえたのではないか、と。

 絵本の最後にある鶴見さんの飾らぬ言葉が好きだ。<日本人は、外人にとりかこまれて、この世界でくらしているのに、日本人本位に考えるのでは、わたしたちは地球上に住みにくくなります>。1億2000万人の日本人は今、71億人余の「外人」に囲まれ生きている。
    −−「発信箱:鶴見俊輔さんの絵本=小国綾子(夕刊編集部)」、『毎日新聞』2015年08月04日(火)付。

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http://mainichi.jp/opinion/news/20150804k0000m070179000c.html





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