覚え書:「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『家族計画』=芦崎笙・著」、『毎日新聞』2015年08月30日(日)付。

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今週の本棚:高樹のぶ子・評 『家族計画』=芦崎笙・著
毎日新聞 2015年08月30日 東京朝刊


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 (日本経済新聞出版社・1728円)

 ◇女性の自立と生殖への問題提起

 ベトナム戦争に駆り出されたのは若い女性たちだった。アメリカの爆撃で精神や身体を損ない、自力では生きていけなくなった多くの女性兵士が、戦後故郷の農村に戻ってきた。村長は離れた村から男を呼び、お金を払って身障者の女性と性交させ子供を産ませ、家族として認知した。社会主義国家では家族の単位で田畑が与えられたので、傷ついた女性であっても子供と村民の助けがあれば生きて行くことが出来たのだ。この政策はラジオを通じて国家が認め推奨し、数千の母子家庭が生まれたという。

 私が会った元女性兵士は爆風で耳が全く聞こえなくなり精神的にも傷を負った。だがこの方法で授かった十四歳になる男児は、充分に母親の生きる杖(つえ)となり、貧しいながらも幸せに暮らしていた。

 女性の性や出産を福祉の代替にするのかと、最初は憤りを覚えたけれど、実際に親子に会ってみると自分の憤りの浅さを思い知った。見知らぬ男との、もしかしたら生涯に一度きりかも知れない性交で、生きる術(すべ)を手に入れた女性を目の前にして、女性の権利、性の自由などの言葉は吹き飛んだ。

 本著はまさに、その対局にある女性たちが主人公だ。離婚歴があり子供も一人居る女性弁護士は、能力も経済力も女性としての魅力も兼ね備えている。願望はあと一人子供を持ち、母親と子供だけの王国を作りたいことだ。結婚に失望している彼女は、再婚せずに有能な精子だけが欲しい。それも精子バンクからではなく、父親となる人物を見定め、その精子で子供を作る、選択的シングルマザー。

 感情を廃し、あくまで子種を得るためにセックスする、そこだけはベトナムの元女性兵士と同じだが、女性の権利意識と自我は天と地ほども違う。セックスは自分の王国を築くための手段でしかないのだ。

 候補者に選ばれた妻子ある大学教授は、非常識な申し出に激しく抵抗する。けれどこの試みの裏には、最先端の生殖補助の実験を成功させることで、少子化が進む日本に意識改革をもたらそうと画策する政治家の野心があった。現状の家族観や道徳観では人口の減少を止められない。この試みが成功すれば、従来の結婚制度から自由になった女性が子供を持ちやすくなり、あらゆる男女関係と家族形態と出産が可能になる、ひいては日本の少子化が食い止められる、という政治家の説得を、大学教授は拒めなくなるが……。

 果たしてこの企(たくら)みは成功するだろうか。精子バンクではなく、生身の人間が目的と理念だけでセックス出来るか。そうして生まれた子供は、「女によって作られた王国」の中でどのように育つのか。

 答えは巻末まで措(お)くとして、ここに展開される女性の願望は切実なまでに現実を写している。女性は男性の庇護(ひご)を必要とせず、結婚によって成立する家庭というシェルターさえ変形させて、それでも自分だけで子供を育てる自信を持つに至った。

 女性の自立はあらゆるユニットを分離分解していく。コミュニティと家庭の相互依存、父親と母親の役割、親子のしがらみ、結婚と生殖の因果関係、さらには性と妊娠の生理的一体感も、理知的なメスで切られ独立させられ、都合良く取捨選択される。この方向は、知的能力を得た人類が、さらに進化を遂げるというより、動物の本能に逆戻りしているのかも知れず、それが近未来図というより、手が届く現実になりつつあるということに、全権を手に入れつつある女性でさえ、戸惑いと畏れを感じずにはいられない。賛否が湧き起こりそうな問題提起の一冊。
    −−「今週の本棚:高樹のぶ子・評 『家族計画』=芦崎笙・著」、『毎日新聞』2015年08月30日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150830ddm015070036000c.html



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