覚え書:「危機の真相:安保法案 反対デモ 声なき声が声を上げる時=浜矩子」、『毎日新聞』2015年09月19日(土)付。

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危機の真相:安保法案 反対デモ 声なき声が声を上げる時=浜矩子
毎日新聞 2015年09月19日 東京朝刊

(写真キャプション)国会前で安保関連法案反対を叫ぶ人たち=2015年9月18日、後藤由耶撮影

 本稿の執筆時点では、安全保障関連法案を巡る参院本会議での与野党攻防が続いている。かりに法案成立となっても、与党のとんでもない強行姿勢に対して、国会内外の怒りが収まるわけはない。

 国会を取り巻く人々の渦。この勢いが議場内での野党側の攻勢を大きく後押ししている。民主主義の主役である市民たちが今、高らかに声を上げている。彼らはもはや「声なき声」ではない。

 声なき声に耳を傾けることは、実に重要だ。ほんのかすかにしか聞こえてこない弱者の叫び。はるか遠くで救いを求める人々のうめき。それらに対する研ぎ澄まされた聴力は、民主主義社会に奉仕する政治家たちが絶対に欠いてはいけない感性だ。

 だが、彼らがこの感性を失った時、民主主義の主役たちは声を上げる。そして立ち上がる。その姿を、我々は今、目の当たりにしている。その怒声が今、我々の耳に響く。

 「革命の種は抑圧によってまかれる」。第28代アメリカ大統領、ウッドロー・ウィルソンの言葉だ。普段は声を潜めている人々も、その声が無視されつつあることを察知すると黙ってはいられなくなる。政治家たちが聞く耳を失った時、無声は有声に変わる。

 ウィルソンの時代から少々歳月を経た1960年、時の日本の内閣総理大臣が次のように言った。「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通りである。私には声なき声が聞こえる」。その人は、第57代内閣総理大臣岸信介である。この時、日米安保条約の改定を巡って国会内の議論は紛糾し、国会外でも反安保運動が激しい高まりを示していた。世にいう「60年安保」闘争の場面だ。

 上記の岸発言は、とてつもない誤解に基づいていたと思う。そもそも彼に声なき声が聞こえていれば、国会周辺が騒がしくなることはなかった。声なき声に対して彼の耳が閉ざされていたからこそ人々は国会周辺で声を上げた。そのために銀座や後楽園球場から国会前へと行き先を変えた人々もいたに違いない。

 そして今、故岸氏のお孫さんが第97代内閣総理大臣のポストについている。お孫さん総理が掲げる安保法案に対しては、反対の大音声が力強い広がりを示している。

 国会周辺はもとより銀座でも反戦平和を訴えるデモやパレードが繰り返されてきた。後楽園球場は今はもうない。だが、反安保法案の声は、スポーツ関係者の中からも上がっている。全国津々浦々で、声また声が安保法案への疑念と怒りを叫んでいる。

 「独裁が現実となった時、革命は権利となる」。これは19世紀フランスの文豪、ビクトル・ユゴーの言葉だ。今の日本で独裁が現実となっているとはいわない。だが、声なき声が、やむなくその沈黙を破らなければいけなくなる時、そこにあるのは独裁への強い懸念と忌避の思いだ。

 グローバル時代は市民の時代になる。常々、筆者はそう考えてきた。グローバル資本主義ではない。グローバル市民主義の時代。そのようになった時、初めて、グローバル時代は人々にとって住みやすい時代となる。そのはずだと考えてきたのである。

 ひょっとすると、今、我々はこの日本でグローバル市民主義が芽吹く瞬間を目の当たりにしているのかもしれない。次第にそう思えてきた。グローバル時代にふさわしい市民革命。その姿が今、示されているのかもしれない。

 彼らグローバル時代型市民革命の担い手たちは、まさに、通常であれば、声なき声の人々だ。決してアジテーターたちではない。百戦錬磨の闘争家集団でもない。派閥もない。分派もない。暴力闘争をたくらんでいるわけでもない。これといった一党一派に偏しているわけでもない。

 彼らの顔ぶれは今や実に多様だ。老いも若きも。男も女も。サラリーマンもスポーツマンも。芸能人も一般人も。労働者も研究者も。エコノミストもボーカリストも。

 彼らの革命に、体制転覆を目指す暴力性は無い。彼らの目的は破壊的ではない。まっとうな人々が、まっとうな声を上げている。まともな市民たちの連帯だ。普通の市民たちの意気投合だ。

 だから、そこに突出する首謀者というものは見当たらない。まともで普通な市民たちが協力し合う。支え合う。励まし合う。そして、声なき声に声を与える。

 この姿は新しい。グローバル市民主義、ここに産声を上げり。それこそ、声なき声の産声だ。この声に、希望を感じる。希望色の声だ。

 なぜ、グローバル時代は市民の時代なのか。それは、ヒト・モノ・カネが国境を越えるグローバル時代において、国家ができることには限界があるからだ。国境無き時代において、国家が存在意義を持ち続けるためには、どうしても市民たちの声を聞かなければいけない。その意味で、グローバル時代こそ、真に民主主義的な時代でなければならない。そういえるだろう。そういえるのだということを、今、日本の国会周辺そして全国津々浦々で、市民たちの声が示してくれている。

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 ■人物略歴

 ◇はま・のりこ

 同志社大教授。次回は10月17日に掲載します。
    −−「危機の真相:安保法案 反対デモ 声なき声が声を上げる時=浜矩子」、『毎日新聞』2015年09月19日(土)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150919ddm005070003000c.html


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