覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『日本鉄道歌謡史 全2巻』=松村洋・著」、『毎日新聞』2015年09月13日(日)付。

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今週の本棚:川本三郎・評 『日本鉄道歌謡史 全2巻』=松村洋・著
毎日新聞 2015年09月13日 東京朝刊
 
 (みすず書房・4104円、4536円)

 ◇歌と鉄道を通して近代辿る壮大な独創

 鉄道を歌った歌はこんなにも多かったか。

 〓汽笛一声新橋を……の「鉄道唱歌」(明治三十三年)をはじめ、戦後の「高原列車は行く」(昭和二十九年)、「ああ上野駅」(昭和三十九年)、「なごり雪」(昭和五十年)と挙げてゆくと切りがないほど。

 明治から現代まで章題になった曲だけでも五十一曲もある。それらの歌を通して鉄道史を語る。逆に、鉄道を通して歌の意味を読み込む。そして、歌と鉄道を通して日本の近代を辿(たど)る。壮大な独創。着眼がいい。

 音楽評論家であり、子供の頃から鉄道好きだったという著者ならではの成果だろう。全二冊の大著だが、文章が平明で読みやすい。随所に卓見がある。

 「鉄道唱歌」は鉄道ソングの決定版。東海道本線の各駅を読み込み、六十六番まである。これは、江戸時代以来の巡礼や名所旧跡めぐりの伝統を踏まえているという。歌枕の現代版と言える。

 同時に、近代国家として、国民に日本の地理を教える、国民づくりという意味もあった。

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 走る鉄道は、座席に居ながら風景を見るという近代ならではの新しい視点を生む。パノラマ(全景)が車窓に広がる。〓今は山中 今は浜……の「汽車」(明治四十五年)は、新しい風景感覚から生まれた。

 鉄道の良さを歌った歌ばかりではない。はじめて知ったが、大正七年には「あゝ踏切番」という鉄道哀歌が作られている。

 その年、東海道本線、現在の大井町−品川間で踏切死亡事故が起きた。人力車の客が死んだ。責任を感じた踏切番二人が飛び込み自殺をした。その悲劇を歌っている。

 こういう鉄道の負の歴史も、著者は見逃さない。現在も大井町−品川間には、「鉄路犠牲者供養塔」がひっそりと建っているという。著者自身が、忘れられたその場所を探し、撮影した写真には胸を突かれる。

 北海道鉄道建設における囚人の酷使、「満洲」鉄道建設における労働者の労苦も著者は、きちんと押さえている。

 鉄道の駅は別れの場になる。列車に乗って故郷を去る者を、両親や兄弟、妻、ときには恋人が見送る。近代が進むにつれ、「駅の別れ」が歌われてゆく。

 戦時中は、出征兵士を駅で見送る姿が歌われる。昭和十二年の「軍国の母」では、「名誉の戦死 頼むぞと 泪(なみだ)も見せず 励まして 我が子を送る 朝の駅」と駅の別れが歌われる。その歌詞の裏に、どれだけ深い母の悲しみがあったか。

 戦後、日本の復興期、高度経済成長期にも鉄道は大きな役割を果たす。地方から東京へ、働きに出る若い労働者が激増する。鉄道は、彼らにとって故郷との別れの場になる。

 東京オリンピックのあった昭和三十九年のヒット曲、井沢八郎の歌う「ああ上野駅」は東北からの集団就職者の、故郷との別れを歌って、多くの出郷者の心をつかんだ。

 さらにその後も「花嫁」(昭和四十六年)、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」(昭和五十二年)、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」(昭和五十年)と、鉄道を詠み込んだ望郷歌、出郷歌の名曲が作られてゆく。近代日本にとって鉄道は「別れ」の舞台だった。「故郷と鉄道」の章は、読みごたえがある。

 しかし、いま、鉄道を歌った名曲はあるのか。ローカル線が廃止となり、効率が求められる新幹線が次々に作られる時代には、「鉄道を舞台にしたドラマを歌うことが難しくなった」。終章が、福島原発事故以後の現況になっているのが重い。
    −−「今週の本棚:川本三郎・評 『日本鉄道歌謡史 全2巻』=松村洋・著」、『毎日新聞』2015年09月13日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150913ddm015070020000c.html



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