日記:わが国は世界革命のなかで不正の側に立っているように思える

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 一九五七年に、ある鋭敏なアメリカの海外将校が、わが国は世界革命のなかで不正の側に立っているように思えると言っていたことがあります。
 もしわれわれが世界革命の正しい側につこうとするなら、まず国を挙げて、価値における急進的な革命を経なくてはならないと、私は確信しています。価値における真の革命が起こされることによって、現在および過去にとらわれてきた多くの政策が果たして公平でしかも正義にかったものであったかどうかが検討されるようになるのです。真の価値革命が起こされることによって、貧困と富裕の間のきわだった相違に不安の目が注がれるようになるのです。また当然の憤慨を抱いて海の彼方を見はるかし、西欧の資本家たちが個々にその巨万の富をアジア、アフリカ、南アメリカの諸国へ投入し、それらの国の社会改善にたいしてはいかなる考慮もはらうことなく、ただおのれの利潤のみを追求する姿をみて、「これは正しくない」と言うことになるでしょう。またラテン・アメリカの地主連中と結んでいる同盟をみて、「これも正しくない」と言うようになるでしょう。われわれは、他を教え導くすべてのものを備え、彼らから学びとるものは何もないと考える、あの西欧の傲慢な感覚は正しくないのです。価値における真実な革命が起こされるならば、世界秩序を祝福する一方、戦争についてはこう言うことになるでしょう。「争いを解決しようとするこの方法は、正しくない」と。ナパーム弾で人間を焼き、わが国の家庭を孤児と未亡人で埋め、普通の人情をもった人々の動脈に、憎悪という毒薬を注射するような、また青年男子を暗黒で血生ぐさい戦場から、肉体的には片輪にし、心理的には発狂状態にして、家庭へ送り返してくるようなビジネスは、智恵や正義や愛とはまったく相容れることのないものなのです。来る年も来る年もより多くの金を、社会改善の計画のためにではなく、軍事防衛のために注ぎ込みつづける国は、精神的には滅亡へ向かって接近しつつあるのです。
 価値についてのこのような積極的革命は、共産主義にたいするわれわれの最前の防壁でもあります。戦争は、これへの回答にはなりません。共産主義を、原爆や核兵器で負かすことは決してできないのです。
(出典)マーチン・ルーサー・キング(中島和子訳)「良心とベトナム戦争」、マーチン・ルーサー・キング(中島和子訳)『良心のトランペット』みすず書房、1968年、45−47頁。

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共産主義の「現実」としての暴力革命に眉をひそめることは否定しません。しかし「そもそも論」で言えば、暴力革命は赤色テロルに「限定」される問題ではなく、より深刻な悲劇を招来したのは白色テロルの側であったことも想起しなければなりません。

だとすれば、大切なことは、権力にとって都合の良い議論、耳障りのよい議論にだけ耳を傾けて、敵対すると自分が認定する相手に対して脊髄反射してもは始まらないのではないでしょうか。

冷戦という経験と為にする議論に馴致され過ぎた所為かも知れませんが、いわゆる西側諸国では、赤色テロルに対する議論であるとすれば「何でも許された」というのが紛れもない事実であり、それは公平さを欠き、現実の人間を手段として扱うイデオロギーとして機能した訳ですが、そろそろそういう先入見的構えから自由にならなければ、どういう「立場」を取ろうとも結局の所は、人間を無効化してしまうのではないでしょうか。

キングの半世紀近く前の説教を読みながら、最近そういうことを考えています。




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