覚え書:「『反戦・平和』最後まで 作家・野坂昭如さん死去」、『朝日新聞』2015年12月11日(金)付。

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反戦・平和」最後まで 作家・野坂昭如さん死去
2015年12月11日

野坂昭如さんの生涯
 社会批判とユーモアに満ちた活動を続けてきた作家の野坂昭如さんが9日夜、85歳で亡くなった。不意の別れを惜しむ声が、各界からあがっている。

特集:野坂昭如さん死去
 関係者によると9日午後9時半ごろ、自宅で横になっていた野坂さんの意識がなくなっているのを家族が見つけ、救急車を呼んだ。病院に搬送したが、午後10時半ごろ、肺炎からくる心不全のため死去したことが確認されたという。

 編集者の矢崎泰久さん(82)は、野坂さんが雑誌「週刊金曜日」用に書いた原稿を7日に受け取ったばかりだったという。「突然の訃報(ふほう)に驚いた。昭和1ケタ生まれの作家として、最後まで反戦平和を唱え、子どもたちの飢えた顔を見たくないと、TPPにも反対していた。死に顔は信じられないくらい穏やかでした」と語った。

 美術家の横尾忠則さんのもとには、雑誌の往復書簡企画のための手紙が、先週届いていた。眼前の危機に見て見ぬふりをしがちな今の日本社会を憂え、原発問題についても懸念する内容だったという。「野坂さんは60年代から一貫して貴重なメッセージを発信してきた。病床からこんな危機感を伝えなければならなかった今の日本とは何だろうかと思う」

 永六輔さんが出演するTBSラジオの番組「六輔七転八倒九十分」では、7日の放送で野坂さんからの手紙を紹介していた。日本が真珠湾を攻撃した12月8日が近付いていることにふれ、「日本がひとつの瀬戸際にさしかかっているような気がしてならない」と現代日本の針路を危ぶんでいた。

 野坂さんの厳しい社会批判の言葉の裏には、空襲体験や家族を失った悲しみに根ざした弱者への愛が常にあった。「戦争童話集」シリーズの絵を担当したイラストレーター、黒田征太郎さんは「『戦争童話集』には胸を突く言葉があふれている。戦争をテーマに人間のちっぽけさを語ることができる人」と惜しんだ。

 ログイン前の続き野坂さんの戦争童話を朗読し、CD化したことがある俳優の吉永小百合さんは「ご快復を待っていましたのに叶(かな)わず、残念です。野坂さんの飛び抜けた行動力と非戦への思いを、今しっかりと受け止めたい」とのコメントを発表した。

 アニメ映画「火垂るの墓」の高畑勲監督も、コメントを出した。「『火垂るの墓』と『戦争童話集』は、戦争に巻き込まれた弱者の悲劇を描ききった不朽の名作です。『火垂るの墓』をアニメ映画化できてほんとうによかったと、心から感謝しています」

 野坂さんは今年8月、若い世代に戦争について考えてもらうためのエッセーを、朝日新聞の読書面に3週連続で寄稿。1カ月以上前から構想を練り、「戦争で、最もひどい目に遭うのは、子供たちだ」と訴えていた。

 テレビにもしばしば登場し、トレードマークの黒めがねはお茶の間でもおなじみだった。70年代に出演したウイスキーのCMソング「ソ、ソ、ソクラテスプラトンか」は今もよく知られる。

 討論番組「朝まで生テレビ!」で共演した評論家の西部邁さんは「いつも隣に座っていた」と振り返り、「きれいごとが嫌いで、辛辣(しんらつ)で鋭い批評を好む。でも根は優しい人でした。戦時中の飢えを経験した人だから、人間存在のしんどさを深いところから理解できる人だった」。

 「酔狂な遊び」を楽しもうと作られたグループ「酔狂連(すいきょうれん)」で一緒に活動していた作家、小中陽太郎さんは「佐木隆三田中小実昌長部日出雄一騎当千の強者(つわもの)が集まった中で、野坂さんはリーダー格。みんなの面倒を見ると同時に、仲間同士をけんかさせて楽しんでいたようにも見えました」と往時をしのんだ。
    −−「『反戦・平和』最後まで 作家・野坂昭如さん死去」、『朝日新聞』2015年12月11日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/ASHDB6G9THDBUCVL02P.html




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