覚え書:「耕論:高校生と政治活動 野見山杏里さん、小池真理子さん、保坂展人さん」、『朝日新聞』2015年12月12日(土)付。

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耕論:高校生と政治活動 野見山杏里さん、小池真理子さん、保坂展人さん
2015年12月12日

 高校生の政治活動を禁じた1969年の旧文部省の通知が廃止され、校外での活動ならば認められるようになった。18歳選挙権の導入に伴う46年ぶりの緩和は、何をもたらすのか。

 ■なんで校内ではダメ? 野見山杏里さん(アイドルグループ「制服向上委員会」メンバー)

 「社会派アイドルグループ」の一員としてログイン前の続き、脱原発憲法9条、米軍基地問題の集会で、歌ったり話したりする機会をもってきました。

 小さいときからテレビのニュース番組をよく見る家で育ったこともあって、社会問題に関心があります。とはいえ制服向上委員会に入る前は、デモや集会には、怖いというか難しいイメージがあって、自分から参加したことはありませんでした。

 学校外での高校生の政治活動が認められたのはよかったと思う一方で、なんで校内ではダメなの、と疑問に感じます。クラスはいろんな人の集まりです。そこで議論することでさまざまな意見を吸収できるよさがあるので、学校で政治活動をしても大丈夫という形でいいと思うのです。

 デモや集会の風景が変わってきたように思うのは今年の夏です。それまで参加者は私にとって祖父母にあたる世代が中心で、私たちの世代はなかなかいませんでした。ところが、安全保障関連法案に反対するデモに大学生だけでなく高校生が参加しているのを知って、私たちだけじゃない、とうれしくなりました。

 通っている高校でも「法案を知っている」「問題があるね」と話す人が出始めたのです。自分たちの世代が戦争に巻き込まれるかもしれず怖い、と私は感じています。

 6月にあった市民団体のイベントで自民党を批判する歌詞を歌ったとして、神奈川県大和市が後援を事後に取り消しました。間違ったことをしたとは思わなかったのでびっくりしましたが、大きく報道された結果、ツイッターのフォロワーが増え、取材を受けることも増えました。私の高校は私の活動を認めてくれ、先生も「頑張っているな」と励ましてくれています。

 最近、ノルウェーの12歳の小学生が選挙期間中の政党を訪ね、「難民に対して何をしているの」といった質問をしているテレビ映像を見ました。すごくないですか。日本は遅れていると思いました。

 ただし、いきなり政治活動してもいいよと言われても、高校生が実行するのは難しいかもしれません。例えばNHKのEテレ(教育テレビ)で、選挙の前に高校生と議員が対談する番組を作ったり、総合テレビの「日曜討論」で大人ではなく若者が出てくるものを放送したりしてもいいんじゃないですか。

 私は18歳選挙権が認められ初めて投票できる年代です。学校の友達には「よかった」と「いきなり言われても」と両方の声がありました。

 いま20代の投票率が低いのは、高校生の政治活動を禁じてきた影響も少なからずあるのではないでしょうか。

 政治について気軽に話すことが少しずつ広がって、数年後には当たり前になればいいと思います。

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 のみやまあんり 1997年生まれの高校3年生。92年に結成された制服向上委員会で、2013年から活動している。

 ■国の「欺瞞」見抜けるか 小池真理子さん(作家)

 仙台に実在したバロック喫茶の店名をタイトルにした小説「無伴奏」は高校時代の自分がモデルの半自叙伝です。

 あの時代を反抗しながら生きた体験がなければ、私は作家になっていなかったでしょう。自分の頭で考え、感じようとするための反骨精神は、今も変わっていません。

 仙台の女子高3年生だった1970年、「制服廃止闘争委員会」を結成し、委員長になりました。カチューシャやリボン、パーマを禁止した校則の廃止、制服の自由化を訴えたのです。早朝、教室の机の中にビラを入れたり、緊急学内集会を開いて体育館の壇上に立ったり。

 高校生の政治活動を禁じる通達が当時あった記憶はないんですが、知っていたとしても、私を含めて素直に従う人などいなかったでしょう。

 忘れもしない70年6月15日。60年安保闘争で亡くなった樺(かんば)美智子さんの追悼デモで機動隊から逃げ遅れて、すり傷と打ち身を負いました。

 デモ参加が学校に知られ、校長に呼び出された父親から叱られ「もう自分の娘ではない」と言われましたが、学校の処分はありませんでした。

 60年代末に激化した全共闘運動は、仙台でも同様でした。街頭ではいつも活動家の学生らがアジ演説をしていたものです。私も公園で毎週末開かれる反戦フォーク集会に足を運んでいました。

 自分たちは操られているのではないかと発想し、「正しい」といわれた既成のものすべてを疑うのが、当時の時代の空気でした。人間は自由な服装をするのが当たり前じゃないか、と主張したのです。お仕着せの制服を廃止することを不満のはけ口にしたのも、世界に向かって反抗するための理由がほしかったからだと思います。

 母校から頼まれ昨年、開校90周年の式典で在校生と卒業生を前に講演しました。制服廃止運動や学内集会、街頭デモの話をし、「スマホばかりをのぞいているのではなく、人と会い、本を読み、自分で考えて」と呼びかけました。

 18歳選挙権が実現し、国は高校生の校外の政治活動を認めましたが、校内での活動も認めるべきです。校外で大人たちと一緒にするのがよくて、校内でともに学ぶ人間と集会を開き議論するのはなぜダメなのでしょうか。

 これは望んで勝ち取った権利ではなく、与えられただけのもの、ということを忘れてはなりません。国から早々とお膳立てをされ、校内の政治活動については禁止という「欺瞞(ぎまん)」に高校生自身が気づくことができるのかどうか、不安と期待が半々です。

 若い人には現代社会のニセモノのからくりを暴いてほしい。それこそが政治活動に参加することだし、ひいては自身の生きる形を模索することになると思うのです。

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 こいけまりこ 1952年生まれ。96年に「恋」で直木賞を受賞した。「無伴奏」は映画化され、来春公開予定。

 ■小学校から場数踏んで 保坂展人さん(東京都世田谷区長)

 18歳選挙権が実現し、政治や社会に主体的に参加する「シチズンシップ教育」も議論されています。しかし高校生になってから模擬投票をして公民教育というのでは遅すぎるのではないか、と思います。

 小学生だった頃、ホームルームの時間を楽しみにしていました。小さな出来事も徹底的に話し合い、少数意見も尊重して、やがてクラスの合意を形成していくプロセスは、民主主義のトレーニングだったと思います。小学校から異なる意見をぶつけあいながら討論し、話し合いの結果は尊重する、という場数を踏むことの大切さを感じます。

 1970年、東京都千代田区立麹町中学2年のとき、学校の近くで開かれていた「ベトナムに平和を!市民連合ベ平連)」の集会を興味半分で短時間のぞいたことがとがめられ、学校から最後通告を受けました。

 「政治活動を続けるようなら地元の学校に戻ってもらう。ここで逸脱しても得にならないぞ」という説諭でした。電車で越境通学の身だったので、深刻に悩みました。

 中3になり、政治集会やデモにも出かけるようになりました。「早すぎる選択」でしたが、旧文部省が決めた「高校生の政治活動禁止」に正面から背いたのです。政治や社会を論じる新聞を校内で発行し、生徒会では自分の意見を発表しようとして制止されました。

 結果として、政治活動に参加したことを内申書の特記事項に詳細に記述され、内申書の「公共心」「基本的な生活習慣」などは最低のC評価でした。入試の成績ではなく内申書で受験した都立と私立の高校で不合格となりました。

 72年、内申書裁判を提訴します。内申書に生徒の思想・信条に関わる事項を記載することが許されるのであれば、内申書制度そのものが憲法に違反していると訴え、東京地裁で勝訴しました。しかし、東京高裁で逆転敗訴となり、最高裁は上告を棄却。その背景にあったのが、高校生の政治活動禁止だったのです。

 教育ジャーナリストから政治家としての自分の歩みを考えてみると、「自分の意見をまとめる」「相手の意見を聞く」「徹底的に話し合う」「解決案を提案する」など、日々の仕事に、子どもから思春期の経験が生きています。

 いま88万都市の区長として、中高生の声を区政に反映することを意識しています。自発的な活動・表現の場を広げるとともに、生きづらさを抱えている若者を受け止める支援にも力を入れています。

 新聞の投書欄で、中学生や高校生の声を注目して読んでいます。社会や政治のあり方に憂いを持つ若者の意見は、大人の惰性や諦めを見抜く鋭さがあると思うからです。

 (聞き手はいずれも川本裕司)

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 ほさかのぶと 1955年生まれ。96年以降社民党から衆院選に3回当選。2011年から現職。著書に「学校を救え!」など。
    −−「耕論:高校生と政治活動 野見山杏里さん、小池真理子さん、保坂展人さん」、『朝日新聞』2015年12月12日(土)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12113646.html


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