覚え書:「ニュースの本棚:S・アレクシエービッチ(ノーベル文学賞) 沼野充義さんが選ぶ本 [文]沼野充義(東京大学教授・ロシア文学)」、『朝日新聞』2015年11月15日(日)付。

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ニュースの本棚
S・アレクシエービッチ(ノーベル文学賞) 沼野充義さんが選ぶ本
[文]沼野充義東京大学教授・ロシア文学)  [掲載]2015年11月15日

ノーベル文学賞に決まって、ベルリンで記者会見するアレクシエービッチさん


■被災者の気持ちすくい上げ
 今年度のノーベル文学賞ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチに授与されることが決まった。素晴らしい決定だが、少し意外でもあった。彼女は小説や詩を書く文学者ではなく、ノンフィクションに徹したジャーナリストだからだ。
 その名前を一躍世に知らしめた『戦争は女の顔をしていない』は、第二次世界大戦で従軍し、男と同様に前線で戦った元女性兵士たちを取り上げた。ソ連ではこの戦争には一〇〇万人もの女たちが出征したのだが、終戦後、勝利は男たちの手柄とされる一方で、女たちは自分の過去を隠して生きなければならなかった。アレクシエービッチはその女たちに初めて焦点を合わせ、「女たちの戦争」の真実を語ったのだった。
 第二作『ボタン穴から見た戦争』(群像社・絶版)は同じ戦争を、当時まだ幼かった人々の経験を通じて、子供の視点から再現した。そして次の『アフガン帰還兵の証言』では、一転して、ソ連の軍事介入政策に従ってアフガニスタンに派遣された若いソ連兵士たちの帰国後の苦しみや、無意味な戦争のために息子を失った母親の悲しみを描き出した。

■しなやかな抵抗
 そして、国際的に大きな反響を呼んだのが、『チェルノブイリ祈り』である。原発事故に取り組みながら、アレクシエービッチは原因の解明や責任の糾弾には向かわず、あくまでも被災者に寄り添い、ひたすら「人々の気持ちを再現」しようと努める。被曝(ひばく)によって夫と、胎内にいた赤ちゃんを失った若妻の愛と悲しみ。「ここには放射能なんかあるもんかね。チョウチョがとんでるし」と、強制疎開地域の自宅に勝手に戻ってくる村民。「がまんできない。殺してくれたほうがいい」とママに頼む少女。それらの声が溶け合って、祈りのように立ち上っていく。
 最新作は二〇一三年に出版された『セカンドハンドの時代』(岩波書店から来年刊行予定)。これはソ連という破綻(はたん)したユートピアの声を記録するこれまでの仕事を締めくくる大作で、ソ連崩壊から現代にいたる時期を生きた人々の気持ちをすくい上げた。驚くべきことに、取材対象には、混乱期に価値のよりどころを失って急増した自殺者とその家族たちも多く含まれている。自殺者についてはすでに『死に魅入られた人びと』(群像社・絶版)で取り上げられていたが、その大半がこちらに改めて取り込まれることになった。
 書き方は、頑固なまでに一貫している。社会の表面から隠れるように生きている「小さな人々」に視点を定め、国中を駆け回り、数百人の人たちに会いに行く。そして、彼らの心を開き、その言葉を丁寧に書き留め、多くの声が織りなす合唱を時代の記録として提示する。それが「国家の論理」をふりかざす権力に対する、しなやかな抵抗になるのは、当然のことだろう。

■平和と生の擁護
 戦争と死のことばかり書いてきた。しかし、高所から歴史を論ずるのではなく、常に人々とともにある彼女は限りなく優しい。そう、戦争と死についてきちんと書くことこそが、平和と生のもっとも雄弁な擁護になるのだ。これは決して、私たちに無関係な話ではない。今の日本にこそ、もっとも必要な本ではないか。残念なことに、既刊五冊のうち、『チェルノブイリ祈り』以外の四冊が現時点で入手できなくなっているが、一刻も早く再刊されることを望む。
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ぬまの・みつよし 東京大学教授(ロシア文学) 54年生まれ。『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』(講談社)が近日刊行。
    −−「ニュースの本棚:S・アレクシエービッチ(ノーベル文学賞) 沼野充義さんが選ぶ本 [文]沼野充義東京大学教授・ロシア文学)」、『朝日新聞』2015年11月15日(日)付。

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