覚え書:「「無限の視覚」得た悲劇 「新カラマーゾフの兄弟」亀山郁夫さん」、『朝日新聞』2015年12月17日(水)付。

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「無限の視覚」得た悲劇 「新カラマーゾフの兄弟亀山郁夫さん
2015年12月17日

(写真キャプション)亀山郁夫さん=郭允撮影
 フランスの同時テロ事件の残響とともに、2015年が暮れようとしている。ベストセラー『カラマーゾフの兄弟』(光文社古典新訳文庫)の翻訳者として知られるロシア文学者の亀山郁夫さん(66)に、テロの時代と世界のグローバル化、そして先月出した初めての小説について聞いた。

 文豪ドストエフスキーが『カラマログイン前の続きーゾフの兄弟』を書いた19世紀、ロシアでは皇帝を標的にした狙撃や爆破が繰り返し起きた。「当時は皇帝が暗殺される時代だった。今は一般人がテロで殺される時代」。その変化の節目は1995年に見いだせると、亀山さんは言う。

 ウィンドウズ95が登場したのがこの年だった。インターネットの普及とともに、国と国との境界は急激に意味を失っていく。金融資本主義が加速し、米国中心のグローバリゼーションが世界を席巻していった。

 「現在の世界で横行するテロは、アメリカ中心の一元論に抑圧された人々の悲鳴の一つとみることができる。ある種の秩序を保っていた中東にも、世界の警察としてのアメリカの手が伸びるようになった。その先に今のIS(過激派組織「イスラム国」)がある」

 この年、日本では地下鉄サリン事件があった。「世界がテロの時代に突入する予兆の年とみることができるのです」

 亀山さんは今年11月、『カラマーゾフの兄弟』の舞台を1995年の日本に移した小説『新カラマーゾフの兄弟』(河出書房新社、上下巻)を出した。ドストエフスキーが書かずに亡くなった続編の内容も盛り込んだ「完結編」を目指したという。

 「書かれなかった続編をあえて今よみがえらせるなら、現代の日本と世界を考える手がかりになる小説でなければ意味がない。だから、世界のすべてを変えた1995年を舞台にした」

 本家『カラマーゾフ』は、父の死をめぐる兄弟たちの愛憎の物語。亀山さんが手がけて2007年に完結した新訳は累計100万部を超え、今も増刷を重ねる。

 「『カラマーゾフ』は父殺しの物語。だが1995年を境に、父殺しという行為は意味を失った」と亀山さん。「かつての父は、家庭という閉鎖空間の支配者だった。子供は父を『殺す』しか自立の道がない。でもネットの普及で、子供は家にいながら外の世界と自由に行き来できるようになった」

 父殺しの「父」は、家庭における父だけでなく、国家や権威といった支配者を象徴する言葉でもある。本家『カラマーゾフ』が、「父殺し」の延長線上に皇帝という「父」の暗殺を見ていたとするなら、亀山さんの『新カラマーゾフ』は、グローバリズムのなかで国家という「父」が力を失い、皇帝ではなく一般人がテロの標的になる時代の混迷を描いた小説として読める。

 「ネットの普及で世界の壁が取り払われた1995年以降、私たちは無限の視覚を手に入れた」と亀山さんは言う。

 「遠い国のテロを目の前のことのように見て、かわいそうだと思いながらも見過ごしてしまう。他者の不幸に鈍感になる。『父殺し』が意味を失った時代に私たちが抱える悲劇の根本に、この小説でふれたかったのです」(柏崎歓)

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 かめやま・いくお 名古屋外国語大学長。前東京外国語大学長。『磔(はりつけ)のロシア』で大佛次郎賞
    −−「「無限の視覚」得た悲劇 「新カラマーゾフの兄弟亀山郁夫さん」、『朝日新聞』2015年12月17日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12120413.html





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