覚え書:「耕論:「夫婦同姓」合憲、でも… クルム伊達公子さん、泉徳治さん、山田昌弘さん」、『朝日新聞』2015年12月17日(木)付。

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耕論:「夫婦同姓」合憲、でも… クルム伊達公子さん、泉徳治さん、山田昌弘さん
2015年12月17日
 
 結婚で夫婦のどちらかが姓を変え同じ姓になるルール。しかし姓を変えられない、変えたくない事情や思いのある人もいる。長年手つかずできたこの問題、いつ、だれが救済するのか。

 ■手放して気づいた愛着 クルム伊達公子さん(プロテニス選手)

 2001年の結婚で、いったん「クルム公子」になりました。夫はドログイン前の続きイツ人のレーシングドライバー、ミヒャエル・クルム。このとき戸籍名から「伊達」をなくし、彼の姓にしたのです。

 外国人と結婚した場合は夫婦で同じ姓にしなくてもいいのですが、そのことを婚姻届を出しにいった区役所で初めて知りました。「何も申し出がなければ、伊達姓のままです」と言われて戸惑いました。いいのかなって。

 うちの両親は、嫁いだら姓も相手にきっちり合わせるという古風な考え方。私も小さい頃から、結婚相手の姓に変わるのが待ち遠しいと思っていました。区役所では「6カ月で考えて決めてください」と。クルムを選び、印鑑も「クルム公子」で作りました。「クルムさーん」と呼ばれることが新鮮でしたね。

 でも、しばらくして寂しさがすごく湧いてきました。伊達公子の伊達がなくなる。名乗れなくなる。そのことに喪失感を感じたんです。自分でもびっくりしました。

 30年ほど前に海外でプレーし始めたときは、Dateの英語読みで「デイト」と呼ばれました。いやだな、もっと簡単な名前だったら良かったのに、と思いました。

 時間をかけて、自分で実績も積んで「ダテ」と読んでもらえるようになった。日本的な名字をテニス界でグローバルに認めてもらえて、愛着が生まれたんですね。伊達でいることと自分が切り離せなくなっていました。一度手放したことで、こだわりも強くなりました。

 夫の母は旧姓と結婚相手の姓をつなげた姓を使っていて、ドイツでは当たり前。他の国のテニス選手にもたくさんいます。私もそうできないか調べて、家庭裁判所に姓の変更を申し立てる方法があると知りました。伊達姓を通称で使うこともできましたが、戸籍と社会上の姓を統一したかったのです。

 彼も賛成でした。当時は引退中で表に出る仕事は少なかったのですが、「公子はいずれもっと外で仕事をするのだから伊達を名乗るべきだ」と。家裁に認められたときはうれしかった。意向を受け入れてもらえ、ほっとしました。

 08年に現役復帰したとき、どの姓で選手登録するか考えました。前の現役時代とのつながりはなくしたくないし、新しいチャレンジというけじめも表したかった。私には戸籍名でもある「クルム伊達公子」が最適だと思いました。

 テニスを通じてさまざまな国の人たちと接し、結婚相手がたまたま外国人だったことで、いろんな姓のあり方を知り、選ぶことができました。結婚する2人が考え、同姓にしたければする、別姓を名乗りたければ名乗る。それが理想だと感じています。

 (聞き手・村上研志)

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 クルムだてきみこ 1970年生まれ。95年に世界ランキング4位を記録、翌年に引退。2008年に復帰。エステティックTBC所属。

 

 ■裁判所の役割、果たせず 泉徳治さん(元最高裁判事

 夫婦が同じ姓を名乗るよう強制しているのが、いまの民法の規定です。私は憲法に違反していると思います。

 まず、結婚や家族に関することについて、憲法24条2項は「法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と明確に定めています。

 姓は個人のアイデンティティーに関わる、人格の象徴です。結婚によって夫婦のどちらかが姓を変えなければならない制度は、個人の尊厳を傷つけるものです。

 さらに、男女平等を定めた憲法14条にも反します。民法では夫か妻のどちらかの姓を名乗ることになっており、形式的には平等のように見えます。しかし、96%の夫婦が夫の姓を選んでいるのが実態で、これを踏まえると、実質的に女性への差別を招いている規定と言えます。

 憲法違反に加え、条約にも違反しています。

 日本は1985年、女性差別撤廃条約を批准しました。この条約は「夫および妻の同一の個人的権利(姓および職業を選択する権利を含む)」を確保するよう、締約国に求めています。

 日本はこの条約に適合するよう、民法を改正する義務を負っているのです。にもかかわらず、批准から30年たった現在もまだ改正されていません。加盟各国の人権状況を審査している国連の女性差別撤廃委員会はこの現状について、再三にわたり、懸念を表明してきました。

 日本国内で法改正への動きが何もなかったわけではありません。法相の諮問機関、法制審議会が96年、選択的夫婦別姓制度の導入を含む民法改正を答申しました。にもかかわらず、保守系議員の抵抗で法案の提出さえされないまま、20年近くたっています。

 なぜ国会で改正が進まないのでしょう。それはこの問題が、少数者の権利にかかわることだからです。

 女性の社会進出が進んだとはいえ、結婚後も旧姓のままでいたいという女性はまだ少数者でしょう。一方で、国会議員は多数派によって選ばれますから、政治家が常に多数意見の方を強く意識するのは当然のことです。

 つまり、このような問題では国会に自ら民法を改正するよう期待することがそもそも難しいのです。かといって、多数決原理によって少数者の人権を抑圧していいわけがありません。

 その時、少数者の人権を守ることができるのは裁判所しかないのです。

 その意味では、「この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄」と突き放した今回の判決は、裁判所が果たすべき役割を果たしておらず、残念です。国会が自ら民法改正に乗り出すべきです。

 (聞き手・山口栄二)

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 いずみとくじ 1939年生まれ。最高裁事務総長、東京高裁長官を経て、2002−09年最高裁判事。著書に「私の最高裁判所論」。

 

 ■社会の同調圧力の象徴 山田昌弘さん(中央大学教授)

 明治時代の半ばまで、日本は夫婦別姓の国でした。

 源頼朝の妻は北条政子と呼ばれ、足利義政の妻は日野富子のままでした。結婚で夫婦の一方が姓を変え、同じ姓にする現在の制度は、明治政府が西洋化政策の一環として、法律で強制したものです。

 戸籍制度ができるまでは、名前じたい桂小五郎木戸孝允になったりと、もっと自由でのびのびしたものでした。

 「伝統を守れ」というなら夫婦別姓に戻せという意見が出てしかるべきでしょう。

 夫婦別姓に反対する理由として、家族が壊れるという人もいます。しかし、日本と同様、儒教の影響を受けた中国や韓国はずっと別姓の原則でやってきましたが、そのために家族が壊れている、仲が悪いなど、ということは聞いたことがありません。

 夫婦別姓への反対は結局、理屈ではなく感情なのでしょう。その底にあるのは、この社会の同調圧力です。多数と同じでない人は変だ、けしからん、皆と同じにしろという無言の圧力です。

 選択的夫婦別姓は、夫婦が別姓を希望すれば選べるというものですが、反対する人はこの「選択」が気に入らないのかもしれません。一方で性同一性障害の人が性別を変えることへの反発は聞かれない。これは選択の余地がない問題だからかもしれません。

 問われているのは、皆と同じにしないのなら不利益を受けて当然、あるいは人と違うことを許容しない、という社会でこれからの日本は大丈夫なのか、ということです。

 高度成長の時代ならともかく、これからの経済発展には多様な人材が力を発揮することが欠かせません。政府が「一億総活躍社会」といい、ダイバーシティー(多様性)を強調するならさまざまな個性を開花させてこそ、です。

 女性や若い人も含めだれもが活躍するには、多様性を認め、いろいろな選択肢を用意することです。その少なさ、社会の寛容性のなさが、日本経済の停滞感につながっているのではないでしょうか。

 夫婦別姓の問題がずっと解決されずにきたことは、こうした社会の同調圧力の象徴のようなものだと思います。

 たとえ選択的別姓が認められても、実際にそれを選ぶ人はさほど多くないかもしれません。それでも、自分の家の姓を残したいという理由で結婚をためらっている女性や、それまでの姓で働き続けたい女性にとっては貴重な選択肢になります。

 家族を作りにくい時代だからこそ、しばりをできるだけ減らし、作りやすいようにする。少子化対策にもつながるかもしれません。

 選択的別姓を取り入れる民法改正が、格好のきっかけになります。しかもコストは、ほとんどかかりません。

 (聞き手・辻篤子)

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 やまだまさひろ 1957年生まれ。専門は家族社会学。「パラサイトシングル」「婚活」などの言葉をうんだ。
    −−「耕論:「夫婦同姓」合憲、でも… クルム伊達公子さん、泉徳治さん、山田昌弘さん」、『朝日新聞』2015年12月17日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12120435.html





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