田舎日記:成熟社会へむけた力が蓄積された社会

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東京を離れましてほぼ1周間たちましたので新しいシリーズとして「田舎日記」はじめます。

田舎へ戻っての実感録になりますが、ざっくりファーストインプレッションしておきます。

例のごとく……。
1.シャッターが閉まりきって廃屋がたくさん並んでいること、
2.土地が痩せるように、トータルとしての「力」が衰えていること
3.販売や飲食に関しては1.と同じですが、小売が消え、郊外型大型ショッピングモールや全国チェーンが席巻し、「車」がないと始まらないという話……。

どこにでも転がっている日本全土の「田舎」の光景でしょうが、基本的には、東京中心の経済成長で活性化という20世紀の成長神話に引きずられたまま、取り残された影と光の点描という話でしょうか。

人口が縮小し、分配されるべきパイ自体までも縮小するなか、どんなに頑張ってもカバーしきれない。東京をモデルに成長でカバーしていくという発想自体がもう無理なのではないか。

そんな印象を強くいだきました。同時に、経済成長に連動した「総動員」「総活躍」とは遠い、数値ならない、計上されない経済や人間、そして郷土の「力」というものは、歴然と存在することも強く感じました。

月並みかもしれませんが、地域や身の丈にあった、成長とはベクトルの異なる成熟へむけての力は、ふんだんに蓄積されているのではないかという話です。

このあたりにもう少し気配りしながら、田舎で生きるということを考えてみたいと思います。







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