覚え書:「耕論 認知症と責任 聞き手・辻篤子 聞き手・古屋聡一 聞き手・山口栄二」、『朝日新聞』2016年03月03日(木)付。

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耕論 認知症と責任
聞き手・辻篤子 聞き手・古屋聡一 聞き手・山口栄二2016年3月3日

 認知症の人が事故などでだれかに損害を与えてしまったら、埋め合わせるのはだれか。介護する家族だけに負担を押し付けることのない社会への転換を、かかわる人と考えた。

■自分らしく暮らす 支えて

認知症フレンドシップクラブ 佐野明美さん

 認知症の人を介護者が閉じ込めておくしかない、などということにならなくて、本当によかったと思います。

 でも、課題はむしろこれからです。安全に暮らせるために家族も地域も鉄道会社も、それぞれできることがもっとあるはずです。訴訟をきっかけに、私自身も何ができるか改めて考えたいし、みんなで考えてほしいと思います。

 58歳のときに認知症とわかった夫を介護し始めて9年、できるだけ外に連れ出しています。いろいろな人と話をしたり、活動したりして、頭も五感もフルにつかってすごすことが病気の進行を少しでも緩やかにするうえで大切だと医師にもいわれているからです。好きな卓球をしたり、工房で働いたり、本人が楽しければ家族もうれしいんです。

 1人で出かけようとするので、家では中から鍵をかけます。閉じ込めるんじゃない。私の仕事が片付くまで、見守りながら一緒にいるんです。

 それでも出ていくことは絶対にないとはいえないし、私自身、鍵をかけ忘れたことだってあります。

 外に出れば、危ない場所もいろいろあります。近所の人たちに、もし1人でいるのを見つけたら注意してとお願いしてあります。一番こわいのは近くにあるバイパスです。周辺には人もいないので、そこには近づかないようにとくに気をつけています。

 ほかの方に損害を与えてしまうこともあるかもしれません。家族の責任もないとはいえません。だから、家族としてできることは何かを考え、地域の助けも得て一生懸命やっているつもりですが、100%はありえない。何らかの事故が起きるときはあるでしょう。そうなったら仕方がない、っていうのかな。

 そんなときのために、たとえば保険でもあると安心できるね、と友人とは話したりしています。

 今回の訴訟では、認知症をどこか特別扱いしているように見えることが気になります。認知症の人だってやりたいことはやりたいんです。

 大切なのは、大人も子どもも、病気の人も、身体が不自由な人も、だれもが自分らしく安全に地域で暮らせることです。とくに認知症の人はこれからどんどん増えていきます。すべての人にかかわる問題でしょう。交通機関にはもっと安全策を施してほしいし、家庭でも地域でもできることをやっていく。だれにとっても安全な地域にしていくことが大事だと思います。

 講演を頼まれたときに強調するのは、声を出すこと。何に困っているのか悩んでいるのかわかれば、知恵を出し合って前に進めます。自分も努力するし、助けも求める。その結果、周りも変わっていく。閉じこもっていたら人生つまらない。それは皆同じですよね。(聞き手・辻篤子)

 

■知恵結集し、対策を議論

関西大学教授 安部誠治さん

 認知症の男性が列車にはねられ死亡した事故とそれに伴う賠償の問題は、高齢化が進む社会全体に突きつけられた重大な課題として受け止めなければなりません。

 近年、認知症の高齢者が事故の被害者になる事例が目立ってきています。たとえば2011年、東京の西武新宿線田無駅脇で、認知症の74歳の女性が遮断機の下りた踏切内で列車にはねられて亡くなりました。翌年には、埼玉の東武東上線川越駅近くの踏切内で、75歳の女性がやはり列車にはねられて亡くなっています。

 事故が起きると、別の鉄道会社に振り替え輸送を依頼する費用や事故処理のための人件費などが必要になります。原因が運行妨害を目的にした置き石や遮断機が下りかけているのに無理に踏切に進入した場合などは、鉄道会社が損害賠償を求めるのは当然です。それが事故の抑止にもつながるからです。

 しかし、行動の予測が難しい認知症高齢者による事故の責任を、介護する家族だけに背負わせるのは間違っています。

 また、鉄道会社と遺族との法廷紛争という図式だけで問題をとらえると、「事故に備える損害保険を拡充すればいい」とお金だけの話になってしまいがちです。

 事故への現実的な対応策として、保険の拡充も不可欠ですが、まずどうしたら事故を減らせるのか議論を深め、可能なハード対策を進めることが大切です。踏切事故であれば、自治体と鉄道会社が協力し、立体交差化や跨線橋(こせんきょう)の整備などを進めることで件数を減らしていけます。

 最高裁判決を契機に国土交通省が中心となって鉄道会社、認知症の人や家族を支援するNPO認知症の研究者らを結集し、事故をなくすための具体策を議論すべきだと思います。たとえば、阪神電鉄は子どもが校門を出入りした際に家族にメールが送信されるITサービスを提供しています。プライバシーに配慮しつつ、こうした技術を応用すれば、地域で認知症の高齢者を見守っていけるようになるのではないでしょうか。

 107人が亡くなったJR宝塚線福知山線)の脱線事故では、原因の検証や鉄道の安全を向上させるために、遺族がJR西日本と対話を重ね、第三者機関に現場の安全管理の評価をしてもらう仕組みが導入されました。「悲惨な事故を二度と繰り返さない」という遺族の決意が支えた、非常に意義のある取り組みだと思います。

 JR東海は今回の事故をどうしたら防げたのか、遺族と向き合いながら真剣に考えるべきだと思います。それが交通インフラを担う公共性の高い鉄道会社としての責務だと考えています。(聞き手・古屋聡一)

 

■補償に工夫 法律家の役目

東京大学大学院教授 樋口範雄さん

 今回の最高裁判決(多数意見)は、認知症の人の介護にかかわっていた妻も長男も「監督義務者」には当たらないとし、認知症の人を監督する義務がある人の条件をかなり限定しました。超高齢社会の現実に沿った常識的な判断として、評価できます。

 高齢者が人口の4分の1を占め、認知症の人も約500万人と推計される社会です。事故が起きて損害が発生したとき、それを当事者間でどのように分配するかという古い発想から、紛争の解決にあたる法律家は離れるべきです。むしろ、事故が起きないようにするにはどうすればいいのかという発想で、解決に臨まなければなりません。

 法律家が社会の変化に対し立ち遅れ、現状に対応していないことを示した最たる例が、今回の事件で名古屋高裁が出した判決でした。

 一審は、事故に遭った認知症の男性の妻と長男に720万円の賠償を命じました。

 二審の高裁は、その半分の360万円の賠償を妻だけに命じました。この判断は、JR東海側がフェンスに施錠したり、駅員が乗客を注意深く監視したりしていれば事故は防げたとして、損害の負担を折半する「けんか両成敗」的な発想ですが、これでは超高齢社会で起きる問題の解決はできません。

 この裁判の場合、たまたま同居の妻がいたから妻に責任が押し付けられそうになったわけですが、その妻自身が当時85歳で、要介護1という典型的な「老老介護」のケースでした。また、そもそも、同居の家族がいない独居老人だったらどうするつもりだったのかという疑問も残ります。

 このような状況で、一生懸命に介護した人が、一生懸命すればするほど「監督責任がある」と認定されて、賠償責任を負うことにもなります。そんな判決をすれば、介護しようとする人はいなくなってしまう。そうした想像力が一部の裁判官になかったのは残念なことです。

 誰が介護していたかということと賠償責任の問題は本来、切り離すべきことでした。認知症の人の事故に関しては、「被害者対加害者」といった従来の発想から脱却する必要があります。

 では、家族がだれも賠償責任を負わないとすれば、損害はどう補償されるのでしょうか。受けた被害が救済されないようでは困るという意見もあるかもしれません。

 それを工夫するのが、法律家の役割です。一つの手段は保険です。今回のケースでは、鉄道事業によって利益を得ている鉄道会社がこうした損害の発生に備えて保険に加入しているべきなのです。

 損害が発生した時にだれかに責任を負わせなければならないという文化そのものの見直しを、今回の判決は求めています。

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http://www.asahi.com/apital/forum/opinion/(聞き手・山口栄二)
    −−「耕論 認知症と責任 聞き手・辻篤子 聞き手・古屋聡一 聞き手・山口栄二」、『朝日新聞』2016年03月03日(木)付。

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http://www.asahi.com/articles/ASJ333F5CJ33UBQU00L.html






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