覚え書:「インタビュー:ホロコーストの教訓 米エール大学教授、ティモシー・スナイダーさん」、『朝日新聞』2016年04月05日(火)付。

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インタビュー:ホロコーストの教訓 米エール大学教授、ティモシー・スナイダーさん
2016年4月5日


「ドイツ史の専門家ではないから、従来の研究と違う視点を持てたのだろう」=米ニューヘイブン、国末憲人撮影
 
 ホロコーストユダヤ人大量虐殺)の教訓に学ばないまま、大虐殺は繰り返されるのだろうか。米国を代表する歴史家ティモシー・スナイダー氏が新著「ブラックアース」で具体的な国名を挙げて警告を発し、大きな反響を呼んでいる。アウシュビッツ強制収容所に象徴されてきたホロコースト像の大幅な転換も迫る同氏を訪ねた。

 ――ホロコーストとは「ドイツのユダヤ人がガス室で虐殺された出来事」と、多くの日本人が信じてきました。あなたが昨年米国で出版した「ブラックアース」は、この常識を覆す内容を含んでいます。私もショックを受けました。

 「欧米でも、ホロコーストドイツ国家が関与し、ドイツのユダヤ人の身の上に起きた悲劇だと思われてきました。実際には、犠牲者の大半がドイツとは関係ない。殺されたユダヤ人の97%は、当時のドイツの外にいたのです」

 「ホロコーストは『記憶の文化』と化しています。現代人はもはや出来事自体を話題とせず、それがどう記憶され、伝えられているかを論じます。でも、本当に何が起きたのか、実はまだ知られていない。そのような問題意識から歴史を描き直そうと思いました」

 「アウシュビッツは、100万人ものユダヤ人が殺された現場です。ただ、1941年に始まる大量虐殺で、ここが舞台になったのは主に末期の43〜44年です。なぜ虐殺が始まったのかは、この施設を見てもわかりません」

 ――著書の中では「アウシュビッツの逆説」と呼んでいますね。

 「アウシュビッツは史上最悪の施設として人々に記憶されています。でも、ここだけを語ることはホロコーストの過小評価につながりかねない。虐殺が密室の中で実行されたように見えるからです。実際には、犠牲者の約半数が収容所ではなく、公衆の面前で殺されました。何が進行しているのか、市民は知っていたのです」

 ――ドイツ国家が強大がゆえに虐殺を起こしたと信じられていますが、これにも異を唱えました。

 「ヒトラーナショナリストと見なすのは間違いです。人種に基づいた帝国を築こうとした彼は、もっと過激な何者かです。彼にとって、国家はそのための手段に過ぎなかった。ドイツで国家の力が強大化したからホロコーストが起きたと考えるのは、誤りです」

 「38〜39年のドイツは、当時のソ連ほど強圧的ではありませんでした。虐殺を本格化させるのは、ドイツが国境を越えて外に出た後です。そこは、バルト3国やポーランドの国家がソ連侵攻で破壊されて生まれた無法地帯でした。だからこそユダヤ人虐殺が可能になった。国家の有無がホロコーストの決め手となったのです」

 「つまり、直接ホロコーストの責任を負うわけではないにしても、ソ連が演じた役割は大きい。ドイツの求人に応じて虐殺に協力したのも、ソ連の市民でした」

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 ――あなたは、虐殺に手を染めたのが「私たちとさほど異ならない人だ」とも指摘しています。私たちもいつか虐殺を起こし得るのでしょうか。

 「それは重要な問題意識です。現代社会は『犠牲者の立場』に配慮します。問題は、『犠牲者だ』と考えること自体が純朴とはいえないこと。誰かを攻撃する人々の大半が、自分たちを『犠牲者』と位置づけるからです。ナチスも同様でした。国際的な陰謀にさらされていると考えたナチスは、すべてを『自分たちを守る行為』として正当化したのです」

 「では、何が普通の人を人殺しに変えるのか。ドイツの歴史家の多くは、訓練と思想だと考えました。確かにそういう面はありますが、私はここでも『国家の破壊』が持つ重要性を指摘したい」

 「国家が破壊されなかった西側のフランス国内と、国家が破壊された東側のポーランドソ連領内とで、ドイツ人は全く違う振る舞い方をしました。国家に伴う諸制度が消滅し、無法地帯に陥った東側で不安にさいなまれた人々に、ドイツ人は『国家を再建する代わりに、ユダヤ人攻撃に協力せよ』とささやいたのです。国家の崩壊は、人が殺人者になるうえでの社会学的な条件です」

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 ――現代人はホロコーストからどんな教訓を得るべきですか。

 「私たちはホロコーストを理念、思想、意図といった面から分析するあまり、物質的な面から分析する営みをおろそかにしてきました。しかし、ヒトラーが重視したのは物質面。すなわち、限られた資源、土地、食糧を巡る戦いです。『ドイツ人の絶え間ない闘争をユダヤ人の倫理観や法感覚が妨げている』との考えが、ヒトラー反ユダヤ主義の基本でした」

 「多くのユダヤ人が暮らすウクライナや東欧にドイツが進出したのは、何としてでも豊かな土地を征服し、食糧を確保したいという思いからです。生き残りの危機が迫っていると信じ込むようなパニックに陥ったことに、ドイツの問題があった。この種の精神状態に加え、国家が消滅した環境、特定の集団を攻撃する思想が重なった時、虐殺が起きるといえます」

 「ルワンダスーダンで起きた大虐殺も、生存パニックと国家の崩壊に起因しています。現在のシリアにも、国家崩壊の状況がうかがえる。(イラク戦争で)米国がイラクの体制を転覆させた時も、同様の問題を引き起こしました」

 ――とすると、次に大虐殺が起きるのは?

 「日米欧では、食糧問題をそれほど重大な政治課題だとは考えません。でも、例えば中国のような国は、30〜40年後に(ナチス・ドイツと)同じような視点から世界を見ていないとも限りません」

 ――中国については、著書でも取り上げていますね。

 「これはもちろん、予言ではありません。いくつかの要因が存在することを指摘しただけです。大躍進や文化大革命で多数の犠牲を出した経験がある中国は、ナチス・ドイツが30年代に悩んだ『生存圏』に似た問題を抱えています」

 「中国の指導部は、消費社会としての生活水準を守ろうと、気を使っています。だから、食糧問題には非常に敏感です。50年後、中国が土地不足と水質汚染に見舞われると何が起きるか、想像に難くありません。一方で、中国が再生可能エネルギーの開発に非常に熱心であるのは、希望を持てます」

 「ロシアの行動にはもっと懸念を抱きます。2013年からのウクライナ危機以来、ロシアは主権国家をないがしろにする態度を取っているからです。ロシアはチェチェンウクライナで民間に大きな犠牲をもたらし、その後シリアで多数の市民を殺害しています」

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 ――あなたは中ロとともに、米国も大虐殺にかかわる可能性を指摘しました。これは驚きです。

 「ヒトラーの『生存圏』の発想の背景には科学不信がありました。ヒトラーにとって、科学はユダヤ人がつくった妄想でした。現在の米国も、少し似た意識を持っています。つまり、科学の基礎を信じようとしない。大惨事を防ぐための技術を認めないのです」

 ――進化論を否定するような宗教右派の態度のことですか。

 「問題はむしろ、共和党の内部にあるでしょう。米国は先進国で唯一、人口の相当部分が地球温暖化を信じようとしない国です。中国には『生存圏』問題があり、ロシアは『破壊的国家』だとすると、米国のお家芸は『科学の否定』です」

 「米国がイラクを攻めた時のことを思い出してください。国家が破壊されたイラクで、米兵は故郷では決してしない虐待行為に手を染めました。米国は豊かで安定した大国なのに、すでに異常なことをしでかしているのです。ホロコーストを正しく理解していたら、米国はイラクを破壊しようなどと考えなかったに違いありません」

 「私たち個人がすべきことは、自らの歴史の暗部をしっかりと見つめることです。それは『日本は正しい』『米国が悪い』などという評価とは次元が違う話です。自分の国が他の国の人々に何をしたのか。世論操作を受けないためにも、私たち一人ひとりがじっくり考えるべきでしょう」

 「ホロコーストは歴史上の特異な出来事だと思われています。でも、それを引き起こした原因は今もあちこちに見いだせるのです」

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 Timothy Snyder 1969年生まれ。専門は中東欧史。邦訳著書に「赤い大公」「ブラッドランド」など。「ブラックアース」は今夏邦訳予定。

 ■取材を終えて

 「ブラックアース」(黒い大地)は、ウクライナの肥沃(ひよく)な土壌を意味している。生存競争の妄想にかられたヒトラーは、食糧を求めてこの地に侵攻した。今、ロシアがこの地に手を伸ばす。「たとえ欠点だらけで腐敗し弱小であるとはいえ、ウクライナは国家として、いざという時に力を発揮するのでは」。国家が持つ機能に、スナイダー教授は期待をかける。

 警戒を怠らぬよう心がけたい。ウクライナ危機は、単なる東西の影響力の争い、国内の権力闘争にとどまらず、次に起こりうる虐殺の前兆かもしれない。冷戦後、国際社会はルワンダや旧ユーゴで紛争の深刻さを見極められず、惨事を許した。その教訓を忘れてはならない。

 (論説委員・国末憲人)
    −−「インタビュー:ホロコーストの教訓 米エール大学教授、ティモシー・スナイダーさん」、『朝日新聞』2016年04月05日(火)付。

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