覚え書:「論点 司馬遼太郎の問いかけ」、『毎日新聞』2016年04月08日(金)付。

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論点
司馬遼太郎の問いかけ

毎日新聞2016年4月8日 東京朝刊

 「国民的作家」と呼ばれる司馬遼太郎(1923−96年)が亡くなって20年。節目の年を迎えて、テレビや雑誌などでは回顧特集が続く。司馬は多くの歴史小説、エッセーを残した。発表当時、歴史上の若き群像に当てた光は、一方で同時代の陰も映し出したと評された。そして、司馬作品はいまも、私たちの胸に何かを問いかけている。

複眼で描いた日本が魅力 梅原猛・哲学者

 あれだけの作品を残した司馬さんは、同世代の天才だった。互いが30代後半のころに出会った。ライバルというほどではないが、どこかで仕事を意識し合っていたのかもしれない。私は古代、司馬さんは近代を主なテーマとし、学者と作家の違いはあった。司馬さんは新刊が出るたびに本を送ってくれて、私はそれを読んできた。こちらも自著を送っていた。そして私たちは京都学派の中心だった桑原武夫さんに気に入られ、「外弟子」のような存在になった。

 彼には中国大陸でのつらい軍隊経験があった。昭和の戦争をどう考えていたのか、結局小説には書かずに亡くなった。それを今でも残念に思っている。後年、司馬さんが小説の執筆をやめると宣言したとき、私は「もっと小説を書いてください。従軍した第二次世界大戦を書いてほしい」という内容の手紙を出した。司馬さんの返事は「自分としては書けることは書いた」だった。しんどくてつらい仕事だったんだと思う。それでもあの戦争を小説に書くべきだった。

 私が好きな司馬さんの作品を挙げるなら「坂の上の雲」と「殉死」。「坂の上の雲」は日本が飛躍的に発展した明治という時代を見事に描いた傑作だ。近代日本の成立を祝福している。彼は戦後の日本が復興しえたのは、明治時代の日本人の精神が残っていたからだと考えていた。一方、乃木希典陸軍大将を扱った「殉死」は、たくさんの兵隊を死なせ、最後は明治天皇の後を追って自殺する不器用な人間を非常にうまく描いている。この二つの系統、複眼性が司馬作品の魅力ではないかと思う。斎藤道三を描いた「国盗(と)り物語」もいい。若いときの短編も見事だ。

 司馬さんは宗教嫌いだった。空海について書くと聞いたとき、私は、空海は大変難しいから1年ぐらいじっくり主著を読んでから書くように勧めた。室町時代以前の文化は仏教文化だから、仏教を勉強せずには書けない。ところが司馬さんはまもなく「空海の風景」を書き上げた。それまでずっと戦国時代以降の日本を書いてきたのに、一気に時代がさかのぼった。野心作ではあったけれども、私も空海が好きだから、かなり厳しい批判を新聞に書いてしまった。とても失礼なことをしたと思う。彼からの反論はなかった。

 司馬さんはずっと日本人とは何か、日本とは何かを考えてきた。ともに選考委員を務めた和辻哲郎文化賞の選考でも、実に思想的なバランス感覚を大事にして審査していると感じた。選考会では、それが元で大論争になったこともある。だからこそ彼は国民的作家になりえたのだろう。私には、夏目漱石森鴎外が文学の王道であり、時代小説は大衆文学だという偏見があった。今はただ、岡本太郎湯川秀樹、そして司馬遼太郎という後世に残る人たちと同時代を生きて付き合えたことを幸せに思う。

 司馬さんは大動脈瘤(りゅう)破裂により亡くなった。早く医者にかかって手術していればもっと生きられたかもしれない。20年たっても、惜しまれてならない。【聞き手・棚部秀行】

熱い人物像、若者の夢に 東出昌大・俳優

 19歳でした。大学に進んだものの未来も見えず、ふわふわしていました。そんな時、父ががんで余命半年と宣告され、父を知るために初めて父の書棚にある、題名の意味も分からないような本を手にしたのが司馬さんとの出合いでした。父は司馬さんの大ファンで、ほとんどが初版本でした。

 父が最初に薦めたのが「峠」。幕末の長岡藩の家老、河井継之助が主人公です。実はそれまで歴史は大嫌いでした。大河ドラマもほとんど見たことがなかった。ボクにとって学校で習う歴史は人物と年号を覚えるだけの無味乾燥のものでした。通学の途中に「峠」を読み始めました。最初は難しいところもありましたが、携帯の辞書などを使いながら読み進むうちに、歴史というものは、実は壮大な人間ドラマなんだということが分かってきたんです。それから「燃えよ剣」や「竜馬がゆく」……。面白くてね、特に10代のうちに竜馬を知ったのが大きかった。こんな破天荒な、でもおおらかで魅力的な男がいたんだ、と。3年ほどの間に長編の大半は読みました。結局、父も4年ほど生き、本を通していろんな会話ができました。

 作品の中には「この国のかたち」や「街道をゆく」など、やや難しいエッセーもあります。また時に「司馬史観」が批判されることがありますが、小説について言えばあくまでもドラマですからね。作中によく出てくる「余談だが」も、あの知識のおかげで歴史上の出来事が今の時代へとつながってきます。司馬さんはボクのような歴史嫌いの若造が読んでも分かるようにと、読みやすく書いてくださったんだなと思います。

 昨年の大河ドラマ「花燃ゆ」では、主人公の夫である長州の志士、久坂玄瑞を演じることになりました。初めて、司馬さんが描いた群像を演じるに当たり、改めて「世に棲む日日」などを読み返しました。調べてみて、いかに当時の若き志士たちの感情表現が豊かだったか。武士というと物静かな印象がありますが、あの時代を動かした若き男たちは熱く、魅力的だったことが分かりました。

 幕末と今は似ていると思います。社会に閉塞(へいそく)感が漂っていて、その中で若者は目隠しされています。ボクと同世代の友だちもみんな薄給でヘトヘトになって働いています。このままでは心の中まで貧しくなってしまいかねない。でも幕末の長州には、貧しいながらも大義と気概を持って生き抜いた男たちがいた。そういう姿を知れば、今の若者も何か夢が持てるのではないでしょうか。歴史を勉強する意義は、過去から学び、よりよい未来を作ること。若い人たちにこそ司馬さんが描く男たちと出会ってほしいですね。今、悩んでいることが「たいしたことないな」と思えるようになると思います。

 特に「二十一世紀に生きる君たちへ」は小学生向けに書かれた短文ですが、「いたわりの心が大切」という思いがよく伝わります。あの名文が心の中にあれば、むやみに他人を批判したり、不満がたまったりすることもなくなるでしょう。間もなく親になるボクたちの世代が今度は未来に伝えていきたいですね。【聞き手・森忠彦】

歴史の忘却と郷愁の間に 成田龍一日本女子大教授

 司馬遼太郎は東西冷戦体制のなかで作品を紡いできた作家である。世界的にみれば米ソが、国内的には保守と革新が厳しく対立した時代にあり、「日本」や「日本人」はこうあるべきである、という指針を出し続けた。亡くなったのは1996年。その7年前にベルリンの壁が崩壊しており、冷戦体制が名実ともに終わった時、司馬は退場した。

 そうした時代相を背負ったがゆえに、「危機の時」に「対立」のなかで読まれる作家ともなった。「竜馬がゆく」の連載が始まったのは62年。「60年安保」という社会的な混乱で、あらたな日本のアイデンティティーが模索される時代に新しい坂本龍馬像が書かれた。「坂の上の雲」の執筆は高度成長期の68年からで、公害などさまざまな矛盾が顕在化するなかにあって団結の物語として明治の戦争を描いた。晩年の10年間にわたって書き継がれた歴史随筆「この国のかたち」は、バブル景気とその崩壊に伴う混乱の時代に重なる。

 冷戦体制が崩れたことで、こうした司馬の役割は終わったはずだった。けれども、日本、日本人のアイデンティティーが揺らいだり、迷いが生じたりするとその作品は再び注目されることとなる。現在の司馬への関心は、東日本大震災を経験し、経済で中国に打ち負かされるなど自信が失われていることと無縁ではない。同時に、「戦後」のよき時代へのノスタルジーもあるのだろう。厳しい時代ではあったが、<いま>からみると、経済も政治もそれなりに回っており、なによりも「国民」が一丸となっていたはずだ−−という「失われた日々」への郷愁である。

 司馬の目は複眼的だ。幕末についても、龍馬の視点だけで描いたわけではない。新選組も含め、さまざまな目を通して書かれた。しかし、多面的な司馬の思想を単純化しようとする動きも見られる。「日本を取り戻す」。そんな言われ方を耳にするなかで、司馬の特定の作品を取り出して政治的に利用する意図も見え隠れする。安倍晋三首相の昨夏の「戦後70年談話」は、司馬の歴史観の表層をなぞっていた。満州事変(31年)から敗戦まで日本は間違ったが、明治維新から近代化に至る道のりと、戦後を全面肯定するロジックは、司馬が考えてきたことに重なる。

 文学、歴史とは、それが書かれた時代がどうであったのかを考え、さらにいまそれをどう捉えるのかという2段階で読み解く必要がある。戦後の過程は、朝鮮半島や台湾を植民地としてきた歴史を忘却する歩みでもあった。司馬もそこから逃れることはできず、日露戦争を描いた「坂の上の雲」は、日本という国民国家を自衛するための戦いという視点で貫かれている。作品で使われる「私たち」には植民地の人たちは入っていない。固定した読み方ではなく、丁寧に読み込むことが求められる。

 グローバル化で、日本は多様な人たちで構成されるようになった。日本、日本人が自明ではなくなり、司馬がしばしば用いた「私たち」が使える国民文学はもう生まれないだろう。その意味では最後の国民作家だったと思う。【聞き手・隈元浩彦】

主人公は「日本」

 発行部数は(1)竜馬がゆく(2)坂の上の雲(3)翔ぶが如く(4)街道をゆく(5)国盗り物語−−の順。晩年はエッセーや紀行で今の日本を語ることが多かった。「この国のかたち」の巻末(4巻)には「主人公は、国家としての、また地域としての、あるいは社会としての日本である(中略)本稿は、時代ごとの形質をあつかいつつも、時代を超えて変わらぬものはないかという、不易の、あるいは本質に近いものをさぐりたいと思って書いている」とある。

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 ■人物略歴


梅原猛さん
うめはら・たけし

 1925年仙台市生まれ。京都大卒。国際日本文化研究センター顧問。99年文化勲章受章。著書に「隠された十字架」「水底の歌」など。


東出昌大さん
 ■人物略歴

ひがしで・まさひろ

 1988年埼玉県生まれ。23歳で俳優デビュー。NHK朝の連続テレビ小説ごちそうさん」、大河ドラマ「花燃ゆ」など。「精霊の守り人」(9日NHK総合午後9時)にも出演。


成田龍一さん
 ■人物略歴

なりた・りゅういち

 1951年生まれ。専攻は近現代日本史。早稲田大大学院修了。東京外語大助教授を経て96年現職。著書に「戦後思想家としての司馬遼太郎」など。
    ーー「論点 司馬遼太郎の問いかけ」、『毎日新聞』2016年04月08日(金)付。

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