覚え書:「特集ワイド ふるさと熊本を思う」、『毎日新聞』2016年04月21日(木)付夕刊。

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特集ワイド
ふるさと熊本を思う

毎日新聞2016年4月21日 東京夕刊


(写真キャプション)安否不明者の捜索をする警察官ら=熊本県阿蘇村河陽で2016年4月19日、西本勝撮影

 肥沃(ひよく)な大地が何度も揺さぶられ、悲鳴を上げている。熊本地震は、思い出の風景を壊し、日常生活を奪った。傷ついた故郷に向き合い、家族や仲間に寄り添いたい−−。熊本県出身の4人が祈りを込めてふるさとへの思いを語った。

写真は、熊本県阿蘇村河陽の捜索現場=19日午前、西本勝撮影

肥後もっこす」の強さ 書道家武田双雲(たけだ・そううん)さん


武田双雲さん
 熊本市東区にある実家で母(書道家武田双葉さん)が被災しました。母は近くの駐車場に避難し車中で過ごしていましたが、東京に到着し、19日にようやく顔を見ることができました。母は書道の師でもあり、普段からつながっていると思っていたのですが、14日の前震の後、数時間連絡がつかず、16日の本震後も再び連絡がとれなくなり本当に不安でした。ですから、再会したときは、ほっとするとともに改めて家族の絆を確認できた気がしました。

 今回の大地震では、前震に加え、本震が来て必死に耐えていた心がくじかれた人も多かったのではないかと思います。「いつまた地震が襲ってくるのだろう」という恐怖心から家に戻ることができず、不安と精神的なストレスを受けたはずです。

 熊本人のシンボルで、子供の頃からいつも見ていた熊本城が傷つき、慣れ親しんでいた阿蘇神社の楼門や拝殿も全壊。私も映像を見ると本当につらくて、今も気を抜くと涙が出そうになります。実は熊本には2週間ほど前に行ったばかり。その時には当たり前のように存在していたものが、あのような無残な姿になるとは思ってもみませんでした。

 でも、やはり「肥後もっこす」「肥後の女」の熊本の人たちです。私が自分のブログに「熊本人の底力を見せましょう」と書き込んだところ、熊本市で被災した女性からも逆に励まされるようなメッセージを頂きました。きっと乗り越え復興に歩み出すはずです。熊本人を信じ、こういう時だからこそ私もあえて「がまだせ(頑張れ)」の気持ちを込めて、「大丈夫」としたためた書をブログに公開しました。【聞き手・庄司哲也】

どう向き合ったら ノンフィクション作家・魚住昭(うおずみ・あきら)さん


魚住昭さん
 熊本市内に住む兄の家族や同級生たちも無事とわかり、とりあえずひと安心しています。発生以来、ずっとニュースをチェックしていて仕事が手につきません。子どものころに家族でよく出かけた阿蘇大橋が崩落したなんて信じられない。壊れてしまった熊本城の長塀には、高校時代の思い出が重なっています。記憶にある一番きれいなところがズタズタになってしまった。

 現場を見ていないので何とも言えませんが、被災地向けの物資が滞っているのは気にかかる。これまでの震災の教訓が生かされているのか、心配になります。

 それに何より原発が心配です。3・11後に福島に入って取材を重ね、原発事故が被災者にどれほど深刻な打撃を与えるのか、目の当たりにしてきました。今回の地震震源域が拡大しているので、川内原発(鹿児島)にも伊方原発(愛媛)にも何もなければと願っています。

 被災地で今のところ大きな混乱がないのは、熊本に地域社会の絆が生きているからでしょう。めったに帰らない私が故郷に戻ってもいまだに「昭ちゃん」と呼ばれるくらいで、住民同士のつながりが強い。だから動揺が少なくてすんでいるのだと思います。

 記者として、人として、熊本とどう向き合うか、帰ろうかどうしようか、揺れています。取材対象として客観的に見ることはできない。支援しようにも、今行ったら迷惑になるかもしれない。それでも、誰に会うわけでも、何の役に立てるわけでもないけれど、あの現場、あの震動の中に身を置きたい。今はそんな気持ちです。【聞き手・井田純】

支え合う気風信じる 歌手・島津亜矢(しまづ・あや)さん


島津亜矢さん
 知らせを聞いたのは、公演先の岩手から東京に戻る新幹線の中、友達からの連絡でした。震度7と聞いても、現実なのか信じられない思いでした。子どもの頃から地震を経験したことなんて全然ありませんでしたから。

 生まれ育った町は、ご近所みんなが顔見知りのようなのどかな土地。道の両脇に特産のスイカのビニールハウスが並んでいて、学校帰りに通りかかると、農家のおばちゃんたちから「持っていきなさい」と渡された思い出があります。

 家族と日曜日に出かけた熊本城は一番の自慢の場所でした。あの石垣が崩れ落ちるなんて−−。映像を見るたびに本当に胸が苦しくて。

 でも、熊本の人たちはとても芯が強いので、震災から立ち上がる力も備わっていると信じています。助け合い、支えあう気持ちが強くて、自分のことより人のことを、という人が多いんです。今回も地震の後、1人で暮らす父を心配して近所の方が駆けつけてくださったと聞きました。

 少しでも被災された方たちの役に立てばと、東京で水や食料、おむつなどの物資を調達して、トラックで現地に運んでもらいました。被災地には、熊本に縁のない方からもたくさんの支援が寄せられていると聞き、出身者の一人として本当にありがたく感じています。

 被災された方々は、自分たちの力を信じて、負けないで復興してほしいと思います。私も、被災された方々のことを思い、少しでも人に伝わる歌を歌っていきます。今は公演で東北から四国、北海道と旅が続いていますが、時間ができたらすぐに帰るつもりです。【聞き手・井田純】

漱石の言葉を励みに 政治学者・姜尚中(カン・サンジュン)さん


姜尚中さん
 震度7の前震があった14日は熊本市内のホテルにいました。10階の部屋で大変な揺れを感じ、非常階段で1階に下りました。仕事で東京に戻った後、今度は16日未明に大きな地震があったと知らされ、ショックでした。自然の豊かな恵みを誇りに感じていただけに残念です。

 大学入学で上京するまで熊本で暮らしました。野球少年だった私が試合をした市内のあちこちの小学校も、今は避難所になっているのでしょう。両親は亡くなりましたが、今も母は市内の立田山の墓地に眠っています。今年から熊本県立劇場の理事長兼館長に就任しました。

 劇場は壁が一部落ちたり、トイレのタンクが破損したりしており、しばらく開館できません。今は何より、住民の皆さんのライフラインが優先されるべきですが、近い将来、熊本の復興のために文化の力が必要とされる日が来ると思います。芸術に触れるカタルシス(心の浄化)が人々の心を支えられるよう、単なる「芸術の殿堂」ではなく、より社会に開かれ、社会を支える拠点となれるよう、震災後の劇場の役割を模索したいと思っています。

 4月13日は夏目漱石が熊本に足を踏み入れてちょうど120年に当たる「来熊120年」の記念日でした。前震はちょうどその翌日に起こりました。

 漱石は随筆「硝子(がらす)戸(ど)の中(うち)」で、「死にたい」と漏らす失意の女性にすべてを癒やす「時」の効用を語り「死なずに生きていらっしゃい」と声を掛けました。私自身が何度も自らに言い聞かせた漱石のこの言葉を、苦しい思いをしておられる方々に贈りたいと思います。【聞き手・小国綾子】

 ■人物略歴

武田双雲(たけだ・そううん)さん

 1975年、熊本市生まれ。東京理科大卒。3歳から母に師事し、書道家に。NHK大河ドラマ天地人」の題字などを手掛ける。

 ■人物略歴

魚住昭(うおずみ・あきら)さん

 1951年、鏡町(現八代市)生まれ。共同通信記者を経て、ノンフィクション作家として活動。著書に「官僚とメディア」など。

 ■人物略歴

島津亜矢(しまづ・あや)さん

 1971年、植木町(現熊本市)生まれ。86年に「袴をはいた渡り鳥」でデビュー。「帰らんちゃよか」で昨年末に2度目の紅白出場。

 ■人物略歴

姜尚中(カン・サンジュン)さん

 1950年、熊本市生まれ。東大名誉教授。政治学、政治思想史。著書は100万部超えの「悩む力」など。近著に「漱石のことば」。
    −−「特集ワイド ふるさと熊本を思う」、『毎日新聞』2016年04月21日(木)付夕刊。

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特集ワイド:ふるさと熊本を思う - 毎日新聞


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