覚え書:「文化の扉:キリシタン大名の真意 鉄砲・生糸…交易も目当て」、『朝日新聞』2016年04月24日(日)付。

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文化の扉:キリシタン大名の真意 鉄砲・生糸…交易も目当て
2016年04月24日

キリシタン大名の真意<グラフィック・宗田真悠>

 高山右近という戦国大名がいた。神への信仰を棄(す)てず、国外追放された右近を、死後401年の今年、ローマ法王庁は「福者」に認定した。再び注目されるキリシタン大名。だが、多くの目的は信仰のほかにあった。

 「キリシタン大名」という名の由来は、1903年に発行されたパリ外国宣教会宣教師のミカエル・シュタイシェンの著書『キリシタン大名―日本政治宗教史―』とされる。日本では30年に吉田小五郎による翻訳書『切支丹大名記』(大岡山書店)が出版された。

 五野井隆史・東京大学名誉教授(キリシタン史)は、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルの1549年の来日以降、徳川幕府が禁教令を発した1610年代にかけ全国で72人の「キリシタン大名」の存在を確認した。だが、「大名」の定義は幅広い。「屋形」と呼ばれ数カ国を統治する大領主を始め、その配下の中・小領主や土豪の国人・国衆らも含む。宣教師がすべての立場を「セニョール」(殿)と呼んでいたためだ。

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 キリスト教への関心の先には貿易があった。特に九州では顕著だ。イエズス会の布教を許可した大名の領国に貿易船が入港するようになると、京都、堺、博多などの商人も交えた貿易と布教の抱き合わせ現象が起きた。鉄砲、火薬のほか中国産の生糸・絹織物と国内で生産された銀との交易が、鹿児島(島津氏)、豊後府内(大友氏)、平戸(松浦氏)、長崎(大村氏)など九州の諸港を拠点に行われた。

 一方、1564年、畿内では三好長慶の73人もの家臣が一斉に改宗した。大阪府高槻市しろあと歴史館の中西裕学芸員(日本中世史)は「三好の命令ではない。宗教を紐帯(ちゅうたい)にして仲間を結束した一揆的な出来事」とみる。家臣らが信仰した浄土真宗阿弥陀仏を拝み「講」という共同体を形成した。絶対神を信仰し自己救済のための共同組織を持つキリスト教と共通点があり、抵抗も少なく受け入れられたとの見方もある。

 豊臣秀吉が権勢を誇った1580年代半ば、牧村利貞(美濃)、蒲生氏郷(近江)、黒田孝高(播磨)ら秀吉の側近となる地方出身者ら「第2世代」の改宗が相次ぐ。秀吉の周辺には、繁栄する大坂の象徴として、茶の湯(茶道)を嗜(たしな)むなかで、キリスト教を受容した武将が多かった。

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 キリスト教は、異教徒として死んだ祖先の霊を祀(まつ)ることを許さなかった。たとえ父母であっても、その霊をまつり、その菩提(ぼだい)を弔う方法はなかった。

 だが、祖先を大切にする日本人にとって、神の信仰と祖先崇拝が両立しないことに戸惑いがあったに違いない。ザビエルが残した書簡には「地獄に堕(お)ちた者にはいかなる救いもない」と言われた日本人が嘆いている様を見て、ザビエルも悲しみを催したことが記されている。五野井教授によれば、「宣教師らは日本の習俗を尊重するようになり、11月を死者の月にして、教会の中央に棺台を置いていつでも祈れるようにした」と次第に順応したという。(上林格)

 ■右近、信仰貫くまれな存在 作家・加賀乙彦さん

 「キリシタン大名」と言われる人の中で本当に信仰心があった人は数少ないと思う。わたしが小説で取り上げた、高山右近は類いまれな存在でしょう。

 キリシタン大名は、好奇心と武器・弾薬を手に入れるという実用の二つの理由があってキリスト教に近づきました。洗礼を受けさえすれば外国人は貿易をしてくれると考え、うわべは敬虔(けいけん)なキリスト教徒のように帰依したかに見せ、宣教師には南蛮貿易の仲介を頼んだのです。

 宣教師の中には語学が堪能な人もいたし民衆の気心を知っている人も多く、貿易商との仲介の役割を多少したこともあったと思います。

 ところが、豊臣秀吉バテレン追放令を出したら、ほとんどのキリシタン大名は棄教(ききょう)し、逆にキリシタンに対して残酷な迫害を始める。彼らの魂胆がよくみえるところです。

 高山右近は、ポルトガル語を理解する早熟な子どもだった。武将としても出処進退が素早く敏速果敢な小大名で秀吉の信頼も厚かった。

 だが、「信仰は個人の自由」として棄教の命令には従わなかった。神と権力者は違うということを示した知識人だった。

 <訪ねる> 高山右近が城主だった高槻城跡公園(大阪府高槻市)にはブロンズ像がある。同じ像は右近が追放されたマニラ市、没後に妻らが帰国した石川県志賀町にある高山右近記念公園、右近設計の高岡古城公園富山県高岡市)にもある。

 <読む> 『日本キリスト教史』(五野井隆史、吉川弘文館)はイエズス会創設から信教の自由が保障される戦後にかけた展開を詳述。『高山右近』(加賀乙彦講談社)はキリシタン大名の生涯を現地取材と文献調査に基づき、作者の推理も交えて描く。

 ◇「文化の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「義太夫節」の予定です。ご意見、ご要望はbunka@asahi.comメールするへ。
    −−「文化の扉:キリシタン大名の真意 鉄砲・生糸…交易も目当て」、『朝日新聞』2016年04月24日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12325780.html


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