覚え書:「憲法を考える:自民改憲草案・個人と人:上 人権、削られた「獲得の努力」」、『朝日新聞』2016年04月26日(火)付。
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憲法を考える:自民改憲草案・個人と人:上 人権、削られた「獲得の努力」
2016年4月26日
【削除】
自民党の憲法改正草案は、現憲法97条を丸ごと、削除している。
97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬(しれん)に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
なぜ、削ったのか。
自民党のQ&A集は、草案11条《「国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である」》と内容が重複するからだ、と説明している。
確かに、似ていなくはない。「重複表現は無駄」と子どもの頃から教えこまれてきた者としては、納得しそうにもなる。
だが、基本的人権の保障こそ、憲法が最高法規であることの実質的な根拠だ。人類の多年にわたる努力の成果であること。幾多の試錬に堪えて現在と将来の国民に信託されたものであること。それらを「なかったこと」にしてしまっていいのだろうか。草案11条の「人権」は、過去からも未来からも切り離されて、はかなげに見える。
さらにQ&A集は、こうも言っている。「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」
「天賦人権」は西欧だけの概念なのか。福沢諭吉の「天は人の上に人をつくらず」の「天」は、西欧だけのものだったのだろうか。
「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です」。2012年12月、起草委員として草案づくりに携わった片山さつき参院議員は自身のツイッターにこう投稿した。
みなに等しく天から与えられる「西欧の」人権と違い、日本の人権は、義務を果たさなければ手に入らないということなのか――。疑問がさらなる疑問を呼ぶ、無限ループへ。さらに草案をめくると、102条に新たな義務が規定されていた。
《全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。》
……なんなのだ、これは。
憲法で権力を縛るのが近代立憲主義の要諦(ようてい)なのに、国民に憲法尊重義務を課す。これは近代憲法といえるのだろうか。
「草案の根底には、近代化そのものを否定したい、個人主義など『近代の病』にむしばまれた社会を救済したいという欲求があるんじゃないでしょうか」
日本の近代を研究してきた片山杜秀・慶応大学教授は、こうみる。「ただそれは、単純な復古とは違って、『安上がり』な国家にしたいという希求をはらんでいると思います。このまま少子高齢化が進めば福祉の切り下げが必要になる、でももう国家は面倒をみませんよ、個人主義を排して、家族や共同体で助け合ってくださいね、と」
基本的人権に対する「幾多の試錬」は今ふたたび、始まっているのかもしれない。
(守真弓)
−−「憲法を考える:自民改憲草案・個人と人:上 人権、削られた「獲得の努力」」、『朝日新聞』2016年04月26日(火)付。
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http://www.asahi.com/articles/DA3S12328426.html