覚え書:「文芸時評:女性作家の想像力 全てを慈しみ包み込む 片山杜秀」、『朝日新聞』2016年04月27日(水)付。

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文芸時評:女性作家の想像力 全てを慈しみ包み込む 片山杜秀
2016年4月27日

 女性作家たちの想像力に脱帽だ。

 まず元気を貰(もら)おう。谷崎由依の「天蓋(てんがい)歩行」に。主人公の「私」は初めは身長が20センチほど。ところが「強烈なひかり」を浴びると巨大化する。怪獣? 違う。舞台はマレー半島。「私」は熱帯雨林の大樹。

 時にはその天蓋のような樹冠を「掻(か)き分けて」「重さのないような足取りで」「彼女が私へ入ってくる」。これぞ天蓋歩行。彼女は花粉だ。すると「無数の白い花々が私から迸(ほとばし)り生まれ出る。ひらき、蜜をあらわにし、蕊(しべ)は濡(ぬ)れて粉とまじわる」。

 官能的! が、やがて巨大樹も最期を迎える。森林は伐採され、都市が出来る。でも巨大樹の意識は消えない。輪廻(りんね)する。虎になり、人間の男にもなり、現代のクアラルンプールの天蓋を形成する高層ビルの最上階で、人間の女と食事をする。かつての巨大樹と花粉の間柄のように。

 谷崎は熱帯雨林のバイタリティと超現実主義的文体を混ぜ合わせ、豊饒(ほうじょう)な生命賛歌を奏でる。いのちは時空を超えて縦横無尽につながる。誰もひとりではない。何だか満たされて嬉(うれ)しくなってくる小説だ。

    *

 元気が出たら、世の中と向き合おう。鹿島田真希の「少年聖女」を読んで。題名役を務めるのは、河合珠子ことタマ。低地のどぶ川沿いの貧困な地域で性的虐待を受けて育った。髪の毛に義父の精液をかけられもした。心に深傷(ふかで)を負った。以来、髪を伸ばせない。短髪。両性具有的相貌(そうぼう)。セックスにもなじめない。高校を出るとゲイバーで「少年歌手」になる。本当は女子なのに。手塚治虫の『リボンの騎士』のような具合。

 そんなタマにはベラルーシ人女性のルームメイトが居る。オリガという。チェルノブイリで被曝(ひばく)。子供を甲状腺ガンで失う。彼女からタマは原発事故の話を聞かされる。

 「チェルノブイリとは、苦よもぎという意味」。「それは聖書の黙示録にも出てくる」。「燃えている大きな星が(中略)水源に落ちる。その星の名前が苦よもぎ。星のせいで水が苦くなり、多くの人が死んだ」

 苦い水、どぶ川、義父の精液……。否定的な液体のイメージが連なる。そのうえタマはゲイバーのショーで、水に飛び込み、火に焼かれる。チェルノブイリや福島の原子の火と汚染水がますます想起されてくる。痛々しくてやりきれない。

 でもタマはやめない。異様なまでに愚直に火と水の責め苦を引き受ける。世界苦を一身に背負うかのように。それはチェルノブイリとはまた別の、ロシア的なるものを呼び覚ます。ムソルグスキーのオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』に登場する聖なる愚者や、ドストエフスキーの『白痴』のムイシュキン公爵のロシア。素直で一途であるがゆえに、普通ならごまかすものをごまかさず、気づかずに済ますものに気づいてしまう。

 タマはたとえば熱帯魚の水槽を眺める。「他の魚の糞(ふん)が混ざったゴミを食べて、水槽を掃除してる」ブルーアイズプレコに目が行く。水槽内の底辺の役目を背負った魚を「こいつ、霊的な生き物だよきっと」と賛(たた)える。ゴミがあれば懸命にきれいにする。それに徹する。この愚直さ以外のどこに、希望ある未来へ人を導く高邁(こうまい)な力が宿るというのか。「少年聖女」は現代日本の数々のごまかしに苛立(いらだ)つ者を魅惑するだろう。

    *

 なら希望ある未来とは、具体的には? 想像しよう。川上弘美の『大きな鳥にさらわれないよう』を読みながら。レイ・ブラッドベリの『火星年代記』などを思い起こさせるオムニバスの未来小説。文明はいよいよ行きづまる。結局、人間存在が暴力や相互不信に根ざすかぎり希望はない。そこで人類改造が企てられる。遺伝子を変異させて。

 理想の人類とは? 題名通り。「大きな鳥にさらわれない」人類だろう。神のような大きな物語を信じない。大勢で集団化しない。誰かに操られない。いつも個と個で向き合う。しかも共感し信頼し愛する能力が猛烈に高い。そんな新人類なら争いもなくなるだろう。

 が、失敗だ。万事休す? そんなことはない。このオムニバス小説は最後が最初につながるように出来ている。堂々巡りの構造。実験はずっと続いているのかもしれない。われわれも繰り返し読んで考えればいい。物語に充足するためでなく、思索を喚起するための小説。そんな作品を、川上はいつもの高ぶらず平明な文体で紡ぐ。これこそ真の力技。

 三人三様。しかし、暴力を嫌い、生きとし生けるものを慈しんで包み込み、相互に深く触れ合わせようとするところは同じ。「生き残れる者だけ生き残れ」みたいな父性的態度は退けられる。みんなわが子。母性の文学。優しくなくちゃ生きられない!

 (評論家)

 <今月の注目作>

谷崎由依「天蓋歩行」(すばる5月号)

鹿島田真希「少年聖女」(文芸夏号)

川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社
    −−「文芸時評:女性作家の想像力 全てを慈しみ包み込む 片山杜秀」、『朝日新聞』2016年04月27日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12330163.html





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