覚え書:「書評:金太郎の母を探(たず)ねて 西川照子 著」、『東京新聞』2016年05月15日(日)付。

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金太郎の母を探(たず)ねて 西川照子 著

2016年5月15日
 
◆山姥の子別れ伝承を解読
[評者]川村邦光=民俗・宗教学者
 表題“金太郎の母”から、柳田国男『桃太郎の誕生』(一九三三年)、石田英一郎『桃太郎の母』(五六年)、そして高崎正秀『金太郎誕生譚(たん)』(三七年)を思い起こさせる。ここには金太郎と桃太郎、母と誕生が組み合わせられているが、金太郎と母の組み合わせはなく、それはきわめて興味深いことは確かである。
 金太郎の母は山姥(やまんば)である。山姥とその子供をめぐる民俗的・神話的信仰、母子神(ぼししん)信仰を探っていく。それが本書の特長である。まずは室町時代御伽草子(おとぎぞうし)「熊野の本地(ほんち)」「厳島(いつくしま)の本地」を取り上げて、その伝承を探っていく。無残に殺害されてもなお、山中で出生した我が子に乳を与えて育み、子と別れる母が哀切きわまりなく語られている。そして、記紀神話や中世・近世物語などのさらなる伝承の森へと分け入っていく。
 世阿弥作とされる謡曲「山姥」、別れた子への執心のゆえに「山廻(やまめぐ)り」する「鬼女」になったとされる山姥物語の根底には、山中で赤子を産む中世の母子神信仰がある。近松門左衛門の『嫗(こもち)山姥』はそれを踏襲して、決定版と言える山姥と金太郎(快童丸)を描いている。子別れという酷薄な事態に直面する山姥、そこには惨殺されてもなお我が子を育てた「熊野の本地」などの母の姿が揺曳(ようえい)している。それは神の子を産み育む女神にほかならない。
 特筆すべきは、記紀神話や中世物語へと深々と潜行して母子神信仰の錯綜(さくそう)した語りを解きほぐしていき、山姥という女神を復権させ、“残酷さ”という、かつて和辻哲郎が日本文化の深層に見出した文化的鉱脈を探り当てたことである。女・母への残忍・残虐さ、そして虐待、虐殺、それは子を神へと昇華させる一撃であり、苦難を乗り越えていく民衆の知恵であったと言えよう。本書は、暴力に晒(さら)される女子供に聖なる徴(しるし)を負わせようとした社会と現在とを照らし合わせ、あらためて問い直してみる切っ掛けとなろう。
 (講談社選書メチエ・1674円)
 <にしかわ・てるこ> 出版・編集企画制作集団エディシオン・アルシーヴ主宰。
◆もう1冊
 柳田国男著『桃太郎の誕生』(角川ソフィア文庫)。桃太郎や瓜子姫など各地に伝わる説話の構造を分析し、日本固有の信仰を読み取る。
    −−「書評:金太郎の母を探(たず)ねて 西川照子 著」、『東京新聞』2016年05月15日(日)付。

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