覚え書:「耕論:日本と核 姜尚中さん、マイケル・グリーンさん、高橋博子さん」、『朝日新聞』2016年05月11日(水)付。

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耕論:日本と核 姜尚中さん、マイケル・グリーンさん、高橋博子さん
2016年5月11日

 米大統領選で共和党候補になる見通しのトランプ氏が、日本の核武装を容認する発言を繰り返している。オバマ米大統領が広島訪問を決める一方で、「核」が語られる背景を考える。

 ■国力衰退の危機感、映す 姜尚中さん(政治学者)

 日本と韓国の核保有を容認するトランプ氏の発言に対して、日本国内で大騒ぎにならなかったのには驚きました。さらに、内閣法制局長官が「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用が禁止されているとは考えていない」と発言しても、あまり問題になっていない。昔なら批判が殺到していたでしょう。

 韓国でも状況は似ています。今年になって、与党・セヌリ党の元裕哲(ウォンユチョル)・院内代表が核保有に言及しました。もちろん韓国政府は打ち消していますが、与党の幹部が公然と核保有アドバルーンを上げ始めているわけです。

 核保有論がタブーでなくなったのは、突然変異的に起きたわけではありません。1980年代には社会学者の清水幾太郎が、核武装は、敗戦からの本当の意味での主権回復につながると主張しました。

 日本政府の内部にも、水面下で核保有論はありました。1969年、西ドイツのブラント首相の側近だったエゴン・バールが来日し、外務省の幹部と懇談した。そのとき外務省側が「日本は必要となれば、核兵器を作ることが可能になった」と語ったと、バールは証言しています。

 国民の意識も変化しています。経済が頭打ちになり、国力が低下したという感覚が日本にも韓国にもある。北朝鮮の核実験や中国の海洋進出を受けて、核という現実的でない選択肢に頼ろうとするのは、国力の衰退に対する強い危機意識の表れでしょう。

 自主国防論の流れと、国力低下への危機意識が積み重なった結果、核保有論を受け入れる素地ができた。「核を持たない」という戦後の「矩(のり)」が少しずつ崩れてきていたことが、トランプ氏の極論にも強い拒否反応が出なかった背景にあると思います。

 問題なのは、彼の発言が現実の安保政策に大きな影を投じることです。トランプ氏が大統領にならなくても、米国が、日本と韓国に防衛能力のさらなる増強を要求してくるかもしれない。しかも日韓双方に、それを歓迎する人たちがいる。安倍政権のように、米国との関係を片務的から双務的に変えていこうという動きは、韓国にもあります。

 戦後の枠組みが崩れる中で日本は国内の「核」への意識の変化や、それを引き起こす一因の北朝鮮の脅威にどう向き合えばいいのか。まず日米韓中ロの5カ国で北朝鮮の非核化へ向けたすり合わせをすべきです。5カ国で非核化に取り組み、日韓の核保有論を抑え込む必要があります。

 北朝鮮に核を放棄させ、朝鮮半島と日本を「非核の空間」にする。非核三原則を堅持し、米・中・ロの核兵器も持ち込ませない。理想論かもしれませんが、北東アジアから核の選択肢を完全に断つにはそれしかないのです。(聞き手・尾沢智史)

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 カンサンジュン 50年生まれ。東京大学名誉教授。現在は熊本県立劇場館長・理事長、東京理科大学特命教授。

 ■日本の保有、米政府反対 マイケル・グリーンさん(米戦略国際問題研究所副所長)

 日本の核保有は現実的ではないと思います。日本の世論調査でも80%以上の人が反対しているからです。

 技術的には、日本が1、2年以内に核兵器を持つことはできるでしょう。しかし、そうすれば、経済的外交的に日本にとってマイナスです。日本国内で政治論争が起こり、社会の安定や経済政策に影響を及ぼし、深刻な危機をもたらしかねません。また、経済の結びつきが強い中国や韓国が反発し、強い経済的な報復措置をとるかもしれません。日本が核保有国から標的にされ、抑止力が弱まります。

 歴代の米政府の視点でみると、米国の「核の傘」の下にあることが、日本にとってより良い選択だと言えます。圧倒的な核兵器を持つ米国の「核の傘」から抜けて日本が単独で核武装することは、抑止力の低下につながります。仮に日本が独自に核保有をしようとすれば、米政府はあらゆる警告を行い、それ以外の方法も考えるでしょう。

 このような事実を誰もトランプ氏に説明していません。彼のアドバイザーには核政策の知識と経験がありません。トランプ氏は討論会で米核戦略を問われ、それを知らなかった唯一の候補者でした。

 彼は「米国は食い物にされている」と感じている人々に感情的に訴えているのです。トランプ氏が核戦略の説明を受ければ、こうした考えを続けるとは思いません。仮に大統領になり、具体的知識がないままこのようなことを言い続けたら、政府や軍、議会は実行には移さないでしょう。

 「在日米軍の大幅削減」というトランプ氏の主張も、米議会ではほとんど支持されていません。国防総省内でも日本と韓国から米軍を撤退させるという研究はありません。シンクタンクや米政府、民主、共和両党の考え方を代表したものでもなく、トランプ氏の頭の中にあるものです。

 この考えは、1980年代にさかのぼる日本に対する否定的な見方が関係しています。ちょうどこのころ、ニューヨークの不動産市場をジャパン・マネーが席巻しており、トランプ氏は良くない経験をしたのでしょう。30年前から同じ事を言い続けているのです。同時にこの考え方は、一部の共和党員の間に広まっている「米国は弱虫だ」という認識を反映しています。日本や韓国のために費用を負担しており、彼らに仕事を奪われているという極めて単純な感情論であり、政策的な議論ではありません。

 昨年米国で実施した日米同盟についての世論調査では、肯定的な意見が圧倒的でした。トランプ氏の発言は、日本への米世論の不満を反映したものではなく、同氏の言葉が米世論に変化を及ぼすとは思えません。ただ可能性があるのも事実で、少し心配ではあります。(聞き手・峯村健司)

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 Michael Green 61年生まれ。ブッシュ政権時にホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)でアジア上級部長を務めた。

 ■被爆者の苦しみを無視 高橋博子さん(明治学院大研究員)

 トランプ氏が「在日米軍を大幅に削減する」「日本の核保有を容認する」などと発言しているのは、米国が世界の警察官であり続ける必要はない、他国になぜクビを突っ込むんだ、という米国内の批判を背景にしたものでしょう。被爆国である日本の立場や、安全保障の実態をどれだけわかったうえでの発言かはよくわかりません。

 そもそも、北朝鮮の核の脅威があるから日本の核保有を認める、というのは、日本と近隣諸国の対立を高め、緊張状態にさせておく姿勢であり、容認できません。

 核兵器には、被爆国である日本がまさに経験しているように被爆が長く人々を苦しめるという非人道的な側面があり、核保有国にとっても相手の核攻撃に備えることなどできず、放射性降下物によって周辺国をも巻き込む兵器という側面があります。

 だからこそ、米国は戦後、原爆による被爆の実相と、残留放射能内部被曝(ひばく)の影響についての情報を隠蔽(いんぺい)してきました。

 また、米国は1950年代、ソ連大陸間弾道ミサイルを開発した際、攻撃から国民が身を守るための核シェルターの建設費の見積額が膨大だったことから当初の計画を見送り、アイゼンハワー大統領は「パニックを引き起こす」としてその経緯を公表しなかったことがありました。原爆がもたらす悲惨な現実に向き合うことができず、核攻撃に備えるコストも賄えないことがわかりきっているなかでの米国の核抑止論は、幻想にすぎないと思います。

 一方で、被爆国日本の足元も危ういものがあります。横畠裕介・内閣法制局長官は3月の参院予算委で「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用が禁止されているとは考えていない」と、被爆の実情を無視した、とんでもない答弁をしました。

 トランプ氏の発言や横畠長官の「核使用」答弁は、被爆地のヒロシマナガサキの惨状、そしてその後の苦しみについて知っていれば出てくるはずのない発想です。被爆者は「何もわかっとらん」ととても怒っていると思います。

 そうした発言に振り回されないようにするためには、核兵器に依存することのおかしさを再認識し、核の傘を既成事実としたうえでの核抑止論を見直すことが必要です。犠牲者の思いを背負い発信してきた被爆者とともに、核廃絶に向けて、ヒロシマナガサキで起こったことを伝えるさらなる努力が欠かせません。

 核被災国の太平洋のマーシャル諸島共和国は一昨年、核保有国を相手取り、早期の核軍縮交渉に取り組むよう求めて国際司法裁判所に提訴しました。日本も、マーシャル諸島と連携して核廃絶のためにともに歩むべきです。(聞き手・川本裕司)

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 たかはしひろこ 69年生まれ。広島市立大広島平和研究所講師を経て、昨年から明治学院大国際平和研究所研究員。専攻は米国現代史。
    −−「耕論:日本と核 姜尚中さん、マイケル・グリーンさん、高橋博子さん」、『朝日新聞』2016年05月11日(水)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12349872.html





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