日記:ある種の人々にとっては、歴史修正主義やレイシズムなんて「何それおいしいの」(手でゲロ)って感覚が実際なのじゃないのかな



しかし、ある種の人々にとっては、歴史修正主義レイシズムなんて「何それおいしいの」(手でゲロ)って感覚が実際なのじゃないのかなと最近は推察するようになりました。
※私の批判のスタイルに反発を覚えるフシもあるでしょうけど、ソクラテスは市民に対してアブたるべきが哲学者の務めと認め、対話篇もそのとおりなので、まあ、許してくださいな、というか……。

学者じゃなくても、フツーに考えれば、歴史修正主義レイシズムその他有象無象ありますけど、持ち上げることに「吝か」になってしまうものを、たやすく持ち上げてしまう。
何度も指摘してしも、同じことの繰り返し。それって、私の言及していることが、実際のところ「よく知らない」(スマソ)みたいな感覚なのかなあ。

それでよくはないのだけど、知性と倫理のハードルを落としすぎやろうというのが僕の認識です。

二乗の傲慢とか言われそうですが、「学会」(学ぶ会)な訳ですから……。バカで何が悪いって居直りは文脈が違うわけです。

最近キーワードになっているのが「反知性主義」。アメリカ由来の言葉ですが、これは、権力といった1%のひとびとが、知性を都合よく独占することに「それは、おかしいぜ」という宗教的良心の発露だった訳ですよ。

丸め込まれて連動されて……。まあ、いいか。いや、よくないわーーー。
ちなみにこのポストでは専門用語は使っておりませんので念のため。

ちなみに言説の相互批判における「お前、馬鹿か!」はレイシズムではありませんので念のため。



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