覚え書:「文化の扉:進化刻む腕時計 機能の変化に『哲学』を見る」、『朝日新聞』2016年05月22日(日)付。

Resize2531

        • -

文化の扉:進化刻む腕時計 機能の変化に「哲学」を見る
2016年5月22日

進化刻む腕時計<グラフィック・米沢章憲>

 腕に巻き、時刻を見るだけなら同じなのに、フランク三浦は4千〜6千円、フランク・ミュラーは多くが100万円超。なぜこれほど値段が異なるのでしょうか。腕時計にはそれぞれに込められた「哲学」があり、「ウォッチ」は今も進化しています。

 「月差」わずか±5秒。その精度が世界の時計産業を揺るがす「クオーツショック」を引き起こした。1969年、セイコーが「クオーツアストロン」を発売。電池で水晶(クオーツ)を振動させ、揺れの回数で時を計る世界初の腕時計だった。

 腕時計は、腕を振ると自然にゼンマイが巻き上がる「自動巻き」などの機械式が主流で、「日差」数十秒が当たり前だった。セイコーがさきがけになったクオーツは、スイス時計を駆逐していく。

 スイス時計協会によると、同国内の時計産業の従業員数は70年に9万人ほどだったが、84年には3万人余りにまで減少したという。

     *

 スイスの時計産業を救ったのがニコラス・ハイエック氏だった。83年にスウォッチを設立すると、安価でデザイン性に富んだクオーツ時計が人気に。利益を老舗ブランドの再興にあてた。

 やがて大量生産大量消費にあらがうように、高級品として機械式の人気が戻る。スウォッチがオメガやロンジンなどと作ったスウォッチグループは、今や世界最大に成長した。セイコーも98年、「グランドセイコー」に機械式を復活させた。セイコーミュージアム渡辺淳館長は「機械式は動きや音に人間的なものがある。手作りに目を向ける人も増えた」と話す。

 90年代には「フランク・ミュラー」がスイスに誕生。腕時計の概念を崩す「クレイジーアワーズ」を生み出した。時間を示す1〜12の数字が順不同に並び、時針があちこちを行き来する。一方向に進む時間に縛られがちな現代。天才時計師と呼ばれるミュラー氏は、有限の時間をより良く生きようという願いを腕時計に込め、複雑な動きを機械式で実現してみせた。

 ちなみにパロディー商品のフランク三浦は、安価に作ったクオーツ式。時針があちこち行き来する機能はない。

     *

 ある時計専門誌編集長は「スイスは、貴族向けに趣味性の高い時計を作ってきた。日本の時計は、近代化して皆が正確な時間を知るために広まった。強みが違う」。

 かつて時計産業の勢力図を一変させた精度は、究極にまで高まっている。衛星からの電波を受信して現地時間に合わせることができるGPS時計では、カシオ、シチズンセイコーの日本勢が世界をリードする。それぞれが「世界初」の技術や性能を開発し、進化を続けている。

 日本時計協会の久保一郎事業部長は「腕時計を意味する名詞『ウォッチ』の意味が変化している」と話す。2015年、メールや通話ができる「アップルウォッチ」が発売。健康管理にカード決済、登山ルートを記録する時計も誕生した。これらはスマートウォッチと呼ばれ、時間計測は主機能ではない。「同じウォッチでも、多様な機能を『見る』という動詞の意味になっていると思います」(高津祐典)

 ■人生を刻み、人生が滲む 幻冬舎社長・見城徹さん

 時間とは、あらゆる悲しみや切なさ、官能をもたらす「すべての秘密」なんだと思います。もし時が無限にあれば、失恋してもいつかは成就する恋があるでしょうし、何かを成し遂げても、感動なんて起きないですよ。

 人間が時という概念を生み、1分、1秒と名付けた。だから人は苦しみ、歓喜に沸く。表現は、時が経って人は死に至るという切なさを救うためにあると思っています。

 時計は時を刻み、人生を刻みます。人生への想(おも)いを、この機械が載せている。だから時計を身に着けるというのは、僕にとってセンチメンタルなことなんです。色んな時計をしてきましたが、その時々の人生への、様々な想いが滲(にじ)んでいるように感じます。

 時計を買うために諦めたものもあります。背徳ですよね。倫理を超えて女性と愛し合うことで官能が起こるのに似ている気がします。

 <訪ねる> 時計の博物館は各地にある。国立科学博物館(東京都台東区上野公園)では、印籠時計や刀柄型日時計を展示。セイコーミュージアム(東京都墨田区東向島)は時計約1万数千点を所蔵。700点以上を展示し、約8千の文献を閲覧できる。

 諏訪湖時の科学館儀象堂(長野県下諏訪町)は、予約すれば6時間かけて機械式腕時計の組み立てが体験できる。

 近江神宮の時計館宝物館(大津市)には、日本最古級の懐中時計のほか、古今東西の時計が展示されている。

 ◆「文化の扉」は毎週日曜日に掲載します。次回は「プラグマティズム」の予定です。ご意見、ご要望はbunka@asahi.comメールするへ。
    --「文化の扉:進化刻む腕時計 機能の変化に『哲学』を見る」、『朝日新聞』2016年05月22日(日)付。

        • -

http://www.asahi.com/articles/DA3S12370102.html


Resize2508


Resize2094