覚え書:「【東京エンタメ堂書店】原爆を学び直す3冊」、『東京新聞』2016年08月08日(月)付。

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【東京エンタメ堂書店】

原爆を学び直す3冊

2016年8月8日


 今年5月27日、米国の現役大統領として初めてオバマ氏が広島を訪問した。私も現場でオバマ氏の演説を聞き、原爆について学び直している。今日までに読んだ中で印象的な3冊を紹介したい。 (編集委員・五味洋治)

<1>
◆米兵の被爆死追う
 広島訪問の式典で、オバマ氏が抱擁した一人の男性がいた。民間歴史家の森重昭さんだ。このシーンは世界に伝えられた。
 広島は軍都であり連合軍の捕虜収容所もないため、原爆投下候補地となった。米兵の被爆者も出なかったとされていた。
 ところが、地元では「米兵が被爆して死んだ」という証言が少なくなかった。
 疑問に思った森さんは、撃墜されたB24型爆撃機から脱出した乗組員が、八月六日の原爆投下の前、捕虜として広島にいたことを確認する。
 二人は東京で尋問を受けるため広島を離れ、生き残ったが、十二人は被害に遭い、亡くなっていた。
 森さんは、捕虜たちの名前だけを手がかりに、米国の各都市の電話番号案内に片っ端から国際電話をかけ、家族を捜し始める。
 墜落した機体の破片を見つけ、生き残った乗組員や家族に送り、信頼関係を築きながら捕虜たちの運命を浮かび上がらせていく。国籍を超え、同じ被爆者として痛みを分かち合う過程だった。
 <1>森重昭『原爆で死んだ米兵秘史』(潮書房光人社、二一六〇円)に、執念の調査が記録されている。今年改訂版が出版された。
 広島に来たオバマ氏からは、最後まで謝罪の言葉はなかった。その背景には、日本に対して原爆を二回にわたって使った米国の政治的な思惑があり、それが現在にもつながっているためだった。

<2>
◆投下は「日米合作」
 <2>木村朗、高橋博子『核の戦後史』(創元社、一六二〇円)は、なぜ米国が核兵器を日本に使ったのかを解き明かす。
 木村氏は「原爆が戦争終結を早め、多くの人命を救った」という神話について「誤りであることは、複数の歴史家の丹念な調査で分かっている」「原爆の開発と投下のため、戦争は意図的に引き延ばされた」と断言する。
 米国側の資料によれば、日本が「国体護持」(天皇制存続の容認)を条件に、降伏を望んでいるという情報を、米国は早くから入手していた。
 日本の降伏を呼びかけるポツダム宣言には当初、天皇制を容認する趣旨の条項が入っていた。ところが最終的には消され、日本側もこの宣言内容に混乱し、結局「黙殺」してしまう。そこにソ連が予定より早く対日参戦してきた。
 ソ連を威嚇するという意味に加え、日本からの反撃がないことを確認して原爆が使われた。「原爆投下はある種の日米合作だった」と木村氏は書いている。やりきれない歴史の現実だ。

<3>
◆核のイメージ分析
 <3>山本昭宏『核と日本人 ヒロシマゴジラ・フクシマ』(中公新書、九五〇円)は、戦後、日本人が「核」についてどんなイメージを持っていたのかを、マンガや映画といったポピュラーカルチャー側から分析している。
 意外なことに、終戦直後の日本で、核は「巨大な威力を持ち、平和利用できる」として、肯定的に語られることが多かった。
 「被害に遭った日本は核エネルギーで繁栄する権利がある」という屈折した心理が反映していた。
 ところが、現実に核兵器が拡散し、原発が相次いで建設されると、イメージは混乱し、無関心も広がった。
 山本氏は、核兵器原発の問題を「人類や文明という範囲に広げながら、同時に地域の問題としても語っていくべきだ」と訴える。
 私も同感だ。オバマ氏の広島訪問を、一時のブームで終わらせてはならないだろう。
    −−「【東京エンタメ堂書店】原爆を学び直す3冊」、『東京新聞』2016年08月08日(月)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/entamedo/list/CK2016080802000152.html


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