覚え書:「今こそ小泉八雲:精霊も自然も受け入れる力」、『朝日新聞』2016年05月30日(火)付。

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今こそ小泉八雲:精霊も自然も受け入れる力
2016年5月30日

小泉八雲
 見えない世界に向き合う。「オープンマインド」で異文化との共生をめざした。

 美しくも恐ろしい「雪おんな」、怨霊が渦巻く「耳なし芳一」、のっぺらぼうが顔をペロリとなでる「むじな」。

 小泉八雲といえば、各地に伝わる民話や伝承をもとに創作した『怪談』が有名だ。他方、明治期の日本を世界に紹介した日本文化研究家でもある。アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた八雲。日本の文化を愛し、日本人の心の深層に迫ることができた背景に何があるのか。

 「幼いころから世界各地の文化に触れ、異文化に対し柔らかく相対的なまなざしを持っていた。行商や電報の配達人などの職歴もある。そうした経験が大きかった」。八雲研究で知られる池田雅之・早大教授(比較文学)は語る。

 たしかに1世紀以上前、これほど世界を回った人も珍しい。現ギリシャレフカダ島に生まれ、アイルランドで育ち、イギリス、アメリカ、仏領マルティニーク島での生活をへて、日本へやってきたのは39歳のときだ。随筆『日本の面影』で日本の迷信を「ギリシャ神話に匹敵するほど」と称賛し、山陰の漁村で初めて見た盆踊りに懐かしさすら覚えた。「八雲の感性は常に開かれていたのだろう。精霊に捧げる舞のリズムに、身体と魂が共振したのではないか」と池田教授は言う。

 日本語の読み書きは十分でなかったが、妻セツとは「ヘルン言葉」と呼ばれる独特の日本語で会話。内なる想像力や感性を働かせ、日本文化の根源を理解しようとした。

 19世紀後半から20世紀初頭は、欧米が帝国主義へとなだれ込んでいった時代だ。だが八雲は「上から目線」で見るのではなく、庶民の内側から入り、生活の中の音や声にじっと耳を澄ませた。晩年、気に入ったのが静岡県の港町、焼津。地元魚商人・山口乙吉宅の2階を借り、夏休みをそこで過ごした。「乙吉の実直な人柄に敬愛の念を抱いていました」と焼津小泉八雲記念館の鈴木絢子学芸員は語る。

 日本人が経験した自然災害にも強い関心を寄せた。作品『A Living God(生き神)』で「tsunami(津波)」という言葉を海外に伝えた。東日本大震災熊本地震……。この国に起きる災害は絶え間ない。揺れ動く大地によって日本人の自制心や忍耐力、他者への思いやりは培われたと考えた。

 八雲は米国で記者をしていた。ジャーナリズムの基本は「事実」に即すること。だが「人間は知識よりも幻想に頼る存在」と『日本の面影』に書いている。目に見えない力への共感力。「ghostly(ゴーストリー)(霊的な)」への想像力の翼を取材現場に広げたのである。人、モノ、カネ、情報が地球規模で広がる現代社会。異文化への寛容の精神や自然との共生がより問われるだけに八雲の精神から学ぶべきことは多いのではないか。

 16歳のとき、事故が原因で左目を失明した。右目も極度の近視。背が低いこともコンプレックスだった。

 「でも八雲は『オープンマインド(開かれた心)』で世界と向き合った。人間中心主義へ警鐘を鳴らし、どんな存在も受け入れた」。島根県立大短期大学部教授(民俗学)で、ひ孫の小泉凡さん(54)は語る。闇を見つめることは五感を磨くこと。ゆかりの松江では『怪談』の舞台を語り部と一緒に歩く「ゴーストツアー」が人気だ。

 「ママさん、先日の病気また参りました」と小さな声で妻セツに訴え、54歳で冥界へと旅立った。死に顔は安らかで、口もとに笑みを浮かべていたという。(編集委員・小泉信一)

 <足あと> こいずみ・やくも(ラフカディオ・ハーン) 1850年、現ギリシャ生まれ。父の故郷アイルランドで幼少期を過ごす。7歳で両親が離婚。19歳で渡米し、やがて新聞記者になる。90年来日。松江に英語教師として赴任。熊本の第五高等中学、東京帝大でも教鞭(きょうべん)をとる。松江藩士の娘・小泉セツと結婚し96年、日本国籍を取得。「小泉八雲」と改名する。1904年、早大講師となったが、同年9月、心臓発作のため東京の自宅で死去。

 <もっと学ぶ> ひ孫にあたる小泉凡さんのエッセー『怪談四代記 八雲のいたずら』(講談社)は、小泉家に伝わる不思議な話も書かれている。

 <かく語りき> 「霊的なものにたいする感覚を持たない人間が、なにかに生命を吹き込むことなどできるはずもないのだ」(池田教授訳の講義録「文学における超自然的なるもの」から)

 ◆過去の作家や芸術家らを学び直す意味を考えます。次回は6月6日、禅僧の良寛の予定です。
    −−「今こそ小泉八雲:精霊も自然も受け入れる力」、『朝日新聞』2016年05月30日(火)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S12383374.html





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