日記:「支持広げる政党への脱皮」“以前”の問題

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もちろん、今でも創価学会公明党の後ろ盾的な支持母体であることに変わりはないが、「近年は創価学会幹部出身の国会議員は減り、当職員と創価学会職員の人事交流もない」(薬師寺克行著『公明党』)という。
 この変化は、日本社会の成熟化とともに、創価学会員の社会的な底上げと中流化、あるいはエリート化が進んだことと無縁ではない。確かに公明党の政治家への人的資源は、豊かになり、多様化しつつあると言える。では、それによって公明党は、無党派層が抱きがちな固定的なイメージを打ち破り、ウイングをより広げていく政党へ脱皮していけるのか。
 この疑問を携え衆院第2議員会館12階の隅の部屋に井上義久幹事長を訪ねる。白髪の端正な顔立ちにメガネ。連立与党の「大幹事長」というより、大学教授を彷彿とさせる温厚な雰囲気だ。
 その幹事長が政治家の資質として言及したのは、実行力と他人(ひと)の痛みが分かるということという、いたってシンプルだが、「経世済民」に通じる政治家の条件だった。それでは、そのような条件や脂質の政治家は、いったいどこからリクルートされているのか。井上幹事長の答えはこうだ。「信頼できる人材」は、要するに創価学会の青年部などに属する学会員で、能力、見識、人柄とも高い、学会の推薦を受ける人物から選ばれるのである。この選抜のシステムこそ、党の信用と安定した基盤を支えている−−。
 だが、堅実でほとんど変わらない支持基盤とリクルートシステムが続く限り、自民党のもうひとつの派閥としてではなく、「与党内野党」として「下駄の鼻緒」(山口那津男代表)の存在感を今後も発揮していけるのだろうか。連立相手の自民党がより右寄りの政党へと姿を変え、改正教育基本法特定秘密保護法の成立、さらに憲法改正アジェンダに上るなか、そのような存在感を示すためには、無党派層へのウイング拡大による票の掘り起こしと、議席数の増加が避けられないのではないか。
 そのために政治家選抜システムを見直し、学会を経由するリクルートだけではなく、より広い分野からの「選良」の採用システムへと舵を切ることができるか。この公明党結党以来の“冒険”に、井上幹事長の口から歯切れのいい答えを聞くことはできなかった。それは大幹事長ですら逡巡せざるを得ない「創造的破壊」だからだろうか。
    −−「姜尚中思索の旅『1868〜』 33選良たちの系譜 支持広げる政党への脱皮」『四国新聞』2016年9月27日(火)付。

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四国新聞以外の地方紙への連続配信記事です。
やや「ツッコミ」の甘さは否定しえないものの、ツッコミ「前」の公共世界へ参加としては、字義通りの指摘というところでしょうか。

歴史の目撃者として言えば公明党が「支持広げる政党への脱皮」の模索は1990年代後半。新進党の分裂がそれを夢物語に帰してしまいましたが、原点回帰としての「その以後」その「可能性」はあったはず。しかしながら……というのが非常に「残念」な話。

かつて1980年代から公明党には参議院において「国民会議」という形で学会員に限らず広汎な「選良」(その中身は横に置きますが)「脱皮」への模索がありました。

少子高齢化社会のなかで、これは公明党とその支持団体に「限定」される話ではありませんが、それぞれの「アクティブ」が自然減するなかで、「支持広げる政党への脱皮」をスライドさせていくのかは課題でしょう。

池田名誉会長がこう言うたからそうなんだ!という話ではありませんが、学会員は公明党を支持するために信仰しているわけではありませんし、「支持広げる政党への脱皮」こそ次のステップへと名誉会長は、今から15年前に示唆されています。

これは池田名誉会長の指摘に限定される話ではなく、西洋の宗教政党の「脱皮」の軌跡でもある訳ですよね。

そうすると、公明党の現在は、例えば、昨今の公明党支持に違和感をもつ会員の「小さな声」を絶賛スルーして「しめつけ」て「とりあえず」よしとする支援のあり方や排他的な選良の選び方には問題があるのではないか、と……。

私自身が「色」がついているので、なかなか歯がゆいところがありますけど、最大限にフラットに考えると、「限界」に来ているとなと思います。

ともあれ、僕が最大限に懸念するのは、公明党という政治の「現実」を肯定するために、その大樹の根っことなる創価学会の信仰という「理想」が連動の末に「歪曲」されてしまうんじゃないのかという懸念です。
色々と考えた方がいいと思います。

そんで、ついでになんですけど、公明党の現職の議員は、自民党民進党に比べると、非常にすばらしい「キャリア」の人物を選んでいることは事実ですが、ただ「官僚」出身というのがその大多数。

先だって某官僚経験者と飲む機会がありましたが、官僚のスキルはものすごいもんがあるのは「事実」です。英語云々……キリがないですねよね。しかし、哲学がないといっておりました。すなわち上が決めれば、それまでどう思っていようがヒラメ族。これは集団的自衛権を巡る「容認できない」という各議員の矜持が一日で覆されてしまった公明党のスーパーエリート議員の「転向」は「官僚ヒラメ」の無様な姿と言って良いでしょう。

まあ、「民は愚かに保て」という話なんでしょうかね。

地方議員は頑張っている・終わってるやんけふくめて有象無象なので横に置きますが、良くも悪くも、人間を幸福にしない人間というシステム(ウォルフレン)というのが日本社会の過去・現在なのですが、それに対する異議申し立ての思想的系譜が、こういう現状ということには、私は極めて違和感をもっております。

「支持広げる政党への脱皮」“以前”の問題としてですけどね。

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