覚え書:「書評:ユリシーズを燃やせ ケヴィン・バーミンガム 著」、『東京新聞』2016年10月02日(日)付。

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ユリシーズを燃やせ ケヴィン・バーミンガム 著

2016年10月2日
 
◆猥褻か 当局と戦う出版社
[評者]川成洋=法政大名誉教授
 二十世紀における実験的・革命的新文学の最高傑作といえば、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を挙げたい。ジョイスはこの小説で、凡人な主人公を日常生活の中に置いて、人間の本質を描写するために句読点なしの文章、単語の羅列、未完結な文章、そして語源の不明確な「ジョイス語」、さらには猥褻(わいせつ)な言葉、涜神(とくしん)的な言辞、王族への侮蔑的言語などを駆使したのだった。これは人間の心理描写における新しい可能性を模索する作家独特の「意識の流れ」の手法であり、彼以降の作家たちに決定的な影響を与えた。
 一千万人もの戦死者を出した第一次世界大戦によって旧来のモラルが権威を失い、自分自身の価値体系で己を判断するようになる。これが芸術界・文学界の空気を一変し、モダニズム運動の胎動へとつながった。ジョイスはこうした新しい芸術家として渇仰された。それにしても『ユリシーズ』は出版前から茨(いばら)の道を歩むことになる。本書はそんな書物の波瀾(はらん)の一代記だ。
 一九一八年三月、『ユリシーズ』の第一章がニューヨークで出ていたモダニズムの雑誌『リトル・レビュー』に掲載され、二○年末まで連載された。ところが、その編集者が猥褻な文書を流布したという廉(かど)で起訴され、掲載誌は押収。『ユリシーズ』の出版に関して当局は、版元、印刷所、書店なども刑事訴追の対象になると恫喝(どうかつ)する。総力戦の開始宣言をしたのだ。
 これに対して、二二年にパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店が『ユリシーズ』を出版する。その主な販路であるアメリカへは、カナダ経由の密輸出、本を解体して新聞紙に挟んで発送し、ニューヨークで業者が製本した。それでも、大西洋を挟む両国当局は押収したそれぞれ約五百部を焚書(ふんしょ)したのだ。三三年に連邦地裁で『ユリシーズ』の猥褻裁判に勝訴する。そんな攻防がスリリングに描かれる。『ユリシーズ』を愛するわずかな人間の果敢な奮闘が功を奏したのだった。
 (小林玲子訳、柏書房・2916円)
 <Kevin Birmingham> 米ハーバード大講師。近代文学・文化を専攻。
◆もう1冊 
 J・ジョイス著『ユリシーズ』(全四冊、丸谷才一ほか訳、集英社文庫)。アイルランドのダブリンを舞台にした言語実験小説。
    −−「書評:ユリシーズを燃やせ ケヴィン・バーミンガム 著」、『東京新聞』2016年10月02日(日)付。

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