覚え書:「近代日本学校制服図録 [著]難波知子 [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)」、『朝日新聞』2016年10月16日(日)付。

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近代日本学校制服図録 [著]難波知子
[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)  [掲載]2016年10月16日   [ジャンル]教育 アート・ファッション・芸能 
 
■国の要請と生徒の望みが形に

 『東京女子高制服図鑑』なる本がヒットしたのは1985年だった。ちょうど女子校の制服がチェック柄のスカートとブレザーにモデルチェンジする頃で、以後「制服萌(も)え」の本が続々出版されるに至った。
 本書はそれらとは若干視点の異なるマジメな研究書だけれども、収録された図版はじつに800点! 明治大正から敗戦前までの集合写真やスナップ(全国各地の学校史や卒業アルバムなどから収集)が次々登場するさまは、まさに壮観で思わず見入ってしまう。
 学校の制服といえば、やはり男子の学ランと女子のセーラー服である。
 詰め襟の学生服と学生帽という男子の制服は学習院帝国大学にはじまり、明治20年代に高等学校へ、中学校へと波及していく。
 一方、高等女学校令の発令とともに明治30年代から急増した女学生の当初の制服は「袴(はかま)」だった。
 なぜ男子は洋服、女子は和服だったのか。
 明治の近代化に、欧米の進んだ技術や制度を採り入れる「国際化」と、天皇制国家の一員としての「伝統化」の二つの軸があるとしたら、男子には国際化(洋服)、女子には伝統化(和服)が求められたのではないかと著者はいう。
 女子の制服が洋装に変わり、さらにセーラー服へと収斂(しゅうれん)していったのは大正末期−昭和初期。が、戦争がはじまると、セーラー型にかわる全国統一型の「へちま衿(えり)」が奨励され、やがてボトムはもんぺになった。
 進学率が低かった時代。学生/女学生という身分を表象する制服も、特定の学校への所属をあらわす徽章(きしょう)もエリートの証しだった。着て歩くだけでステータスになる服ですからね。制服への憧れが学習意欲をかきたて、「私たちもああいう制服がいい」という生徒の要望が制服を変えていく。そのへんはいまと同じ。
 必ずしも「お仕着せ」の歴史ではなかった制服の変遷。社会史としても秀逸な本格派の制服萌え本だ。
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 なんば・ともこ 80年生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教(日本服飾史)。著書に『学校制服の文化史』。
    −−「近代日本学校制服図録 [著]難波知子 [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)」、『朝日新聞』2016年10月16日(日)付。

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難波 知子
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