覚え書:「耕論 障害があったとしても 奈良崎真弓さん、浅野史郎さん、雨宮処凛さん」、『朝日新聞』2016年08月26日(金)付。

Resize4292

        • -

耕論 障害があったとしても 奈良崎真弓さん、浅野史郎さん、雨宮処凛さん
2016年8月26日
 
 障害があるゆえに命が奪われる社会とは何なのか。施設で暮らしていた19人が刺殺された事件。当事者の思い、私たちの心の底にある意識と、どう向き合えばいいのか。

 ■障害者でよかった、今思う 奈良崎真弓さん(本人会サンフラワー会代表)

 事件はテレビのニュースで知りました。「障害者なんていなくなればいい」と植松聖(さとし)容疑者が話していると知り、心が壊れました。

 小学5年の時のことを思い出しました。授業についていけなくなった私に、友だちは「死ね」「障害者はいらない」と言い、離れていきました。とてもショックでした。二十数年忘れていた言葉が心にグサッときて、2日間、嘔吐(おうと)と寒気に襲われました。

 家族と暮らす自宅から週に4日働いている花屋へ行く途中、誰かから同じことを言われるのではと。怖い。今も夜中に目が覚める。事件が起きた施設にいたらどうなっていたのか。「助けて」と言えただろうか。妄想してしまう。

 植松容疑者が障害者の命を否定したことは許せません。でも、事件を予告した時、なぜ周りの人が注意しなかったのでしょうか。植松容疑者の人生がダメになったのは、もったいない。怒りというより悲しいです。

 障害者がいなくなればいいと思うことはたぶん、みんなにあると思います。でも障害者が本当にいなくなったら、どんな社会になるんだろう? みんな年をとると体が動かないことがありますよね。事故で体が不自由になるかもしれない。その時、「あなたはいらない」と言われたらどう思いますか? ぴんぴん元気な人ばかりだったらロボットの世界のようだと思いませんか? 街や駅のバリアフリーもないかもしれません。

 月に一度、知的障害者の本人が集う会を開いています。仕事や年金、住居、恋愛といった悩みを話し合ってアドバイスしたり、法律を勉強したり。家に閉じこもりがちな人には「怖くても飛び出してみようよ。誰かがきみを支えてくれる」と励まします。街に出て障害のない人が私たちと出会う機会が増えれば、お互いを大事にできると思う。

 障害があるとかないとか関係なく、一緒に笑ったり感動したり、時には泣いたり怒ったり。それだけで、人は生きている価値があるんじゃないでしょうか。あるがままの命の重さを感じられるんじゃないかと思うんです。がんばらなくていい。笑ったり泣いたりできない人には「どうしたの?」と寄り添えばいい。

 専門用語や長い文章はわかりづらいし、難しい漢字は書けません。頭の中で計算するのも苦手。障害がない自分になりたいと思ったことは何度もあります。

 でも、親身に支えてくれる人や、顔の筋肉は動かないけれど目を開けて「きょうも生きている!」と感動させてくれる知的障害と身体障害のある男性など、さまざまな人と出会い、人は一人ひとり違っていいと実感できた。だから今、こう思うんです。障害者でよかった、と。(聞き手・森本美紀)

     *

 ならざきまゆみ 78年生まれ。知的障害があり、当事者の視点から発信を続ける。自治体の施策作りに関わり、海外で活動も。

 ■地域での生活、偏見なくす 浅野史郎さん(神奈川大学特別招聘教授)

 1970年に厚生省(現・厚生労働省)に入省してすぐの初任者研修で、重症心身障害児施設を見学しました。生まれて初めて大勢の重症心身障害児を見てショックを受けました。「この子たちはこうして生きていく意味があるのだろうか」。これが率直な気持ちでした。「いなくなればいい」とまで考えなくても、「かわいそう」と思う人は少なくないと思います。

 「かわいそう」と思うのは、ひとえに私たちが障害者に対して「無知・無理解」だからです。障害者を知ることで、社会からそんな偏見はなくなっていくと思います。

 私の考えが変わったのは、福祉課長として北海道庁に赴任し、施設を訪ねて話を聞いて回ってからです。どんなに重度の障害者でも、昨日できなかったことが今日できるようになることがある。そんな進歩があれば、生きていて良かったと思う。その積み重ねが生きていくということなんだと。

 障害者の声なき声に耳を傾けているうちに、彼らは施設での生活を望んでいるのだろうかと疑問を持つようになりました。当時は「収容施設」という言い方をしましたが、施設に死ぬまでいるのが彼らの望みとは思えなかった。普通の生活は地域の中にある。それで厚生省の障害福祉課長の時に始めたのが、少人数で一緒に暮らす「グループホーム(GH)制度」です。

 制度が始まった89年は100カ所でしたが、今では7千カ所ぐらいになり、着実に地域移行は進んでいます。在宅や通所のサービスも充実してきました。2006年に施行された障害者自立支援法では地域生活支援が明確にうたわれた。30年近くが経ち、「施設から地域へ」という流れは大きく前進しています。

 その一方、事件が起きた「津久井やまゆり園」のように、百数十人の障害者が一緒に暮らしている施設がいまだにある。一気には変われないと思いますが、10年後も今のままでいいのか、真剣に考えなければいけません。

 今回の事件を受けて、施設に防犯カメラを増やしたり、塀を設けたりといった警備の強化を進める動きがあります。しかし、これはまったく反対の方向だと思います。施設を一種の「要塞(ようさい)」にしてしまえば、「特異な場所に住む特異な人」という認識を再生産しかねません。

 なぜ、40人以上もの人が、わずか1時間足らずで傷つけられたのか。施設によって確保される安全もあると思うが、GHでばらばらに暮らしていれば、いっぺんに襲われることはなかったはずです。集団的で、ともすれば閉鎖的になりがちな施設の住まい方を変えるため、入所者の地域移行を今後も着実に進めていく必要があると思います。(聞き手・小泉浩樹)

     *

 あさのしろう 48年生まれ。93年から3期務めた宮城県知事時代に大規模施設に入所する知的障害者の地域移行を進めた。

 ■「命よりお金」、私たちにも 雨宮処凛さん(作家・活動家)

 植松容疑者の行為は、期待通りの経済的な利益を生まない者は生きる価値がないという、この国の津々浦々にうっすらとはびこる価値観が露骨に表れた最悪の結末です。

 介護や医療などの社会保障費は財源がないからと削減され、本来は長寿をことほぐべき高齢者が社会のお荷物のように扱われる。労働者は過労死寸前まで働かされ、企業の都合で使い捨て。リストラされた人は時に自殺に追い込まれ、生活保護費も切り下げられています。経済至上主義の中で、障害者だけでなく、そうでない人の命も常にお金とてんびんにかけられ、値踏みされているのです。

 こうした価値観は1990年代後半以降、グローバル化に伴い国際競争が進むにつれて顕著になった。99年に障害者施設を訪ねた石原慎太郎東京都知事は「ああいう人ってのは人格あるのかね」と述べました。麻生太郎財務相は今年6月、高齢者の老後に言及して「いつまで生きてるつもりだよ」と発言。でも、この社会は本気で怒らなかった。

 「かけがえのない命」と言われる一方、経済が人の命よりも優先される「命のダブルスタンダード二重基準)」がまかり通ってきたのです。植松容疑者が犯行前、衆院議長あてに「日本国と世界のため」と書いたとされるのは、自身の行為の理解者がいると思ったのではないでしょうか。

 人の生存は本来、無条件に肯定されるのが大原則。2歳児は「年収いくら?」などと聞かないし、障害者を差別もしない。他者をあるがまま承認する価値観は生まれながら持っているのに、成長する過程で奪われていく。今大切なのは、私たち一人ひとりが意図的に経済的な価値とは異なる視点に立ち返ることです。

 自分の中にも弱い立場の人に対する差別の芽があると自覚し、極端な考えにつながらないよう自己チェックする。少し弱っていたり、生きづらさを感じている誰かへの優しいまなざしを忘れない。ふだんから命を大切にする実践を積み重ねることでしか、利益を創出する者だけに価値があるという暴力的な価値観にあらがえないと思うのです。

 かつては私自身も年収で人を見るような人間でした。でも反貧困の運動を通して、障害のある人が「生きさせろ」と叫んでいるのを見て、働けるかどうかと個人の存在価値は関係ないのだと、人間観が変わりました。

 ある集会で出会った難病の女性の姿が忘れられません。車いすで眠っているように見えた女性は、わずかな筋肉の動きで介助者にこう伝えたのです。「まだ死んでない」。会場は笑いに包まれました。

 荘厳な儀式のような豊かなコミュニケーションの作法。ここに生きていること自体の尊さ。こうした世界をご存じですか?(聞き手・森本美紀)

     *

 あまみやかりん 75年生まれ。貧困、非正規労働などの問題に取り組む。著書に「14歳からわかる生命倫理」など。
    −−「耕論 障害があったとしても 奈良崎真弓さん、浅野史郎さん、雨宮処凛さん」、『朝日新聞』2016年08月26日(金)付。

        • -

http://www.asahi.com/articles/DA3S12528453.html


Resize4258


Resize3370