覚え書:「文化の扉 薩長同盟、倒幕狙ってなかった? 龍馬の役割にも異説」、『朝日新聞』2016年09月04日(日)付。

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薩長同盟、倒幕狙ってなかった? 龍馬の役割にも異説
編集委員・宮代栄一2016年9月4日


異説あり、薩長同盟
 今から150年前、薩摩藩西郷隆盛長州藩木戸孝允(きどたかよし)が京都で会談して締結し、両藩が倒幕へと突き進む出発点となったとされる「薩長同盟」。だが近年、「軍事同盟ではなかった」との見方が浮上している。

 「薩長同盟」は1866(慶応2)年、京都市上京区にあった薩摩藩小松帯刀(こまつたてわき)邸で締結された。

 歴史上、この「同盟」が画期的とされるのは、「八月十八日の政変」や「禁門の変」などで直接砲火を交えた薩摩藩長州藩が、この時、幕府を倒すために初めて協力して軍事的行動を起こす約束をしたとされるからである。

 戦いに敗れた長州の恨みは深く、薩摩藩を「薩賊」と呼ぶほどだったが、土佐藩の脱藩浪士だった坂本龍馬中岡慎太郎が仲介。歴史ドラマなどでは、朝敵の汚名を着せられて窮地に陥った長州藩を救うため、坂本が渋る西郷隆盛を説得して会談を実現。二大倒幕勢力がようやく手を結ぶ場面として描かれることが多い。

 だが、その実情はいささか違っていたようだ。

 当事者の木戸孝允の手紙によると、この時の合意内容は、?徳川方と長州戦争が起きた際には薩摩は2千余の兵を京都にのぼらせるなどして京阪で兵力増強を図る?戦争が長州に優勢、敗勢、開戦に至らぬ場合を問わず、薩摩は朝廷に対して尽力する?「橋会桑」が現在のように朝廷を擁し、正義を拒んだ場合には決戦に及ぶ、など。

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 この頃、朝敵とされた長州藩では、藩主の毛利敬親(たかちか)親子が官位の停止処分を受けていた。佛教大学の青山忠正教授(明治維新史)は「大名としての人格を否定されたに等しい。『官位回復のため、薩摩が朝廷に働きかけてほしい』というのが会談の主目的」とみる。

 障壁になっていたのが「橋会桑」、すなわち当時、禁裏守衛総督(きんりしゅえいそうとく)だった一橋慶喜(よしのぶ、後の徳川幕府15代将軍)、会津藩主で京都守護職松平容保(かたもり)、桑名藩主で京都所司代松平定敬(さだあき)の3人だった。

 「兵力増強は幕府に向けてではなく、3人に圧力をかけるためであり、なお邪魔するようなら薩長が武力で排除するといった事態もおこり得る――。文中にある『決戦』はその程度の意味と解釈すべきだ」と青山さん。「実態は毛利家当主の官位復活をめぐる覚書であり、倒幕を意図した軍事同盟などと言えるものではない。『薩長盟約』『薩長の政治的提携』と呼ぶのが適切だと思います」

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 事実、「同盟」という言葉は当時の一次史料のどこにもない。内容も薩摩がすべきことのみが列挙されており、長州の要望を薩摩が聞き入れただけのようにも読める。

 ただし、違う見方もある。鹿児島県歴史資料センター学芸専門員の町田剛士さんは「同盟締結の時点では、長州側が第2次長州征伐が実施される可能性が高いとみていた一方で、西郷は幕府の権威低下から、実戦になるとは考えていなかった。薩長同盟は、長州側からみれば、目前に迫った幕府と戦うための軍事的同盟であり、薩摩側からみると、幕府から雄藩の連合政権へと移行させるための、軍事的な色彩を織り込んだ同盟だったと解釈すべきだ」と話す。

 一方、神田外語大学准教授の町田明広さん(日本近現代史)は「当時、薩摩はまだ長州と本格的に手を組もうとは考えていなかった」と指摘。「とはいえ長州の木戸が薩摩の西郷や、家臣のトップである小松帯刀と直接会い、薩摩は長州の敵ではないと確認できた点に意味がある」と評する。

 実際、数カ月後に起きた第2次長州征伐で薩摩は幕府の出兵要請を拒否。それが長州の勝利へつながった。歴史の転換点の一つであったことは間違いないようだ。(編集委員・宮代栄一)

■龍馬は薩摩藩のエージェント的立場?

 同盟の仲介者とされる坂本龍馬。倒幕実現のため中立的立場で会談を設けたとされてきたが、近年では、後ろ盾である薩摩藩のエージェント的な立ち位置で動いていたとみる研究者が増えている。

 龍馬と薩摩藩の関わりは、神戸海軍操練所の閉鎖が決まった際、同所の土佐浪士を薩摩藩がまとめて受け入れた1864年にさかのぼる。鹿児島県歴史資料センター黎明館で開催中の「幕末薩摩外交―情報収集の担い手たち」展(11日まで)には当時の事情を記した手紙などが並ぶ。

 町田明広さんによると、当時、龍馬は各地で薩摩藩士と思われていたらしい。65年に長州の下関を訪れ、木戸に会ったのも薩摩藩の意を受けてのことと考えられる。

■読む

 「薩長同盟は軍事同盟ではない」と最初に主張したのは青山忠正氏。『明治維新と国家形成』(吉川弘文館)に詳しい。家近良樹氏の『西郷隆盛と幕末維新の政局』(ミネルヴァ書房)は同盟の価値をめぐり薩長の間に温度差があったと説く。

■知る

 鹿児島市にある鹿児島県歴史資料センター黎明館では、薩長同盟締結150年にちなんだ企画展「幕末薩摩外交―情報収集の担い手たち」を開催中(11日まで)。新たに発見された御花畑の屋敷の絵図のほか100点以上が展示されている。
    −−「文化の扉 薩長同盟、倒幕狙ってなかった? 龍馬の役割にも異説」、『朝日新聞』2016年09月04日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/ASJ9142H3J91ULZU004.html





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