覚え書:「危機の20年 北田暁大が聞く 第8回 ゲスト・小森陽一さん 文壇、論壇と言説(その1)」、『毎日新聞』2016年11月26日(土)付。

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危機の20年

北田暁大が聞く 第8回 ゲスト・小森陽一さん 文壇、論壇と言説(その1)

毎日新聞2016年11月26日 東京朝刊


対談する小森陽一・東京大教授(右)と北田暁大・東京大教授=東京都千代田区

 文壇、論壇が明確な形を失った一方で、自由や平等といった近代の価値観を否定するかのような動きが国内外で目立つ。いずれも東京大の北田暁大教授(社会学)と小森陽一教授(日本近代文学)が、文学や公共の言説はどうあるべきかを語り合った。【構成・大井浩一、写真・中村藍】

崩れた近代の公共空間 身体からの発話が重要
 北田 小林秀雄から吉本隆明江藤淳、そして柄谷行人さんに至る、文学的な素養と教養をもとに社会や政治と批評を接続していく回路が一定期間、戦後日本社会の左派もしくはリベラルな勢力の知的な資源になっていました。文学、哲学、思想、社会問題、政治問題が交差する地点で、論壇、文壇が長らく成立していた。その状況を体現した人の最後が柄谷さんのような気がします。

 小森 そうですね。柄谷さんは自ら「文学は終わった」と宣言して文芸評論を閉じました。

 北田 1990年代半ばの当時ニューアカニューアカデミズム)青年の一人としてはショックでした。95年以降、この世代でも、もう一度近代的な価値を考えていかなければならないという形で問題を引き受けていく者と、非政治化、生活保守の方向に流れていく者とに分かれました。相対主義的な生活保守に向かった人々にとって、戦うべき相手は近代です。彼らは近代は乗り越えなければいけないといいますが、その価値観はそもそも社会で共有されていない。

 小森 近代的価値が現在では社会で共有されていないのです。英国の欧州連合離脱、今回の米大統領選と、「やってびっくり直接民主主義」というのが連続しました。近代的な価値観が嫌なので離脱します、という感覚と言説ばかりが目立つ傾向が広がっています。

 北田 白人の中流ブルーカラーで相対的に見れば所得にも恵まれているのに、何かを奪われたという思いの強い人たちが、米大統領選でトランプ氏を支持したという分析もあります。彼らは、移民や貧困層に「自分たちの享受できたはずの日常」が奪われたという「理由」で、トランプ的な近代的価値の蹂躙(じゅうりん)を、スルーしたり乗ったりしている。近代・多文化うざい、の剥奪感が蔓延(まんえん)している。最悪の「ポストモダン」です。そこに相対化の極北にあるジジェク氏(哲学者)のような人も乗った。

 小森 同感です。この20年で、近代が創り出した言説の公共空間が急速に崩れていきました。日本でもかつての文壇と論壇のあり方が維持できなくなり、崩壊しています。今年は夏目漱石の没後100年で、来年が生誕150年です。100年、150年という単位で考えると、日本の遅れて始まった近代の構図が見える。漱石は、ヨーロッパが400年かけて進めた近代化を、日本は40年で実現したと認識しています。ヨーロッパにおけるグーテンベルク=注<1>=の印刷技術の発明、レコンキスタ=注<2>=の終わり、新大陸発見以来の歴史を、日本は明治のわずか40年でやってしまったという漱石の見切り方を改めて今総括することが必要です。

 北田 急ぎすぎた近代、短縮された近代のゆがみが明治の後期にも噴出し、大正を経て昭和においても噴出しました。

 小森 まさに太平洋戦争に突入するただ中で「近代の超克」=注<3>=が論じられました。

 北田 高等教育を受ける人が急増し、都市化が進み、中産階級が広がっていく。中産階級や労働者階級でも比較的裕福な層が社会全体を見渡した時に、自分たちを苦しめているものは手続き的に硬直した近代の政党政治や官僚政治だ、となっていきました。では、自分たちの中にある本来の価値は何かと問い始め、日本的なものや東洋的なものと言い出す、というのが「近代の超克」のベースです。今起こっていることは何かというと、戦後民主主義という、もう一回反復された「短縮された近代」の中で一時期、70年代から80年代の初めにかけて実現したように見えた家族像や社会像のモデルが、団塊ジュニアの世代ではなぜかデフォルト(初期設定)になっている。夫が働き、女性は専業主婦で、子供は大量の教育費を投入され、一流大学に入れば一流企業に行けるという夢がモデルケースだという思い込みだけは継続していますが、実際はそういう状態は希少だった。幻想からの剥奪感が起きます。

 小森 中産階級が成立していたかに見えた幻想ですよね。漱石が明治の新中間層の読者に向かって、何を書くかを考えた結果が新聞社への入社でした。日清・日露の戦間期のバブルにより一定の生活条件を作ったものの、それが日露戦争後に崩壊することが目に見えている連中に向かって、「あなたがたの生活感覚はこうではないか」と挑発したのが漱石新聞小説です。だから今読んでもリアリティーがある。これが小説という領域を、この国の遅れた近代において作っていきました。

 ■人物略歴

こもり・よういち
 1953年東京生まれ。北海道大大学院博士後期課程退学。成城大助教授などを経て現職。「九条の会」事務局長。著書に『漱石を読みなおす』『子規と漱石 友情が育んだ写実の近代』など。
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